ぴょろた、今週から学校始まってます。

初日から給食ありの5時間授業…

(前・後期制だからか長期休暇は他の地域より短め)


ということで、先週末はママは鬼と化し、

ぴょろたは涙と鼻水を垂らしながら、

ずっと放置していた自由研究に取り組んでいたわけです。


ホント、自分の夏休みのときも

最後まで自由研究残しちゃって苦労したけど、

子どもできると今度は子どもの夏休みの自由研究のために

お腹痛くなるわけね…


だいたい案はまとまっていたので、間に合いました。

来年は…ちゃんとしたい…

っていっても、自分の小学校時代の6年間も同じことやってたわけで、

多分来年も同じこと書いてるわ…


それにしても、今週になって話題になっている宿題代行とかいう悪徳業。

(人助けではないでしょ。明らかに足元見てるでしょ。だから悪徳。)


いろいろ意見はあるみたいだけど、

自分でやらない、または親が手伝ってあげない(または手伝う気がない)なら

むしろ「しませんでした~」って正直に言うべきだと思う。


夏休みの宿題を「提出する」のが目的ですか?


そうじゃないでしょ。


夏休みの宿題をしなかったのは(または間に合わなかったのは)

他のことを優先させたからでしょ?


夏休みの終わりが近づいて、子どもが「どうしよう~」って言ってて、

親もそれを手伝う気がないなら、

「私たちは、夏休みの自由研究よりも子どもの遊びを優先しました。

そのほうが、意味のある夏休みになるからです。」

とでも、

「最終日に必死こいてやるのは、親子ともどもしんどくて、

とてもそんな気になれなかったので、やりませんでした。」

って言ったうえで、来年もそうなりそうだったら

「もう、夏休みの自由研究は到底できそうにもないし、やる気もないので、

もう宿題として出さないでください」

ってお願いしたらどうか…


それが「正しい」んなら、そういう意見が増えてきて、

学校も「時代の変化」に沿って、夏休みの課題を出さなくなるんじゃない?


…だからと言って、夏休み最終日に親は鬼と化し、

子どもは涙・鼻水を垂らしながら必死でやっつけ仕事的に

仕上げるのもどうかとは思うんですけどね…(反省)


夏休みの宿題を「全部提出する」のが正しいのか?

そのために「外注」するのもやむを得ないのか?


小学校の6年間、夏休みの課題をお金を払って「代行」してきた

子どもが、大人になった時、

仕事や家庭(子育てとか)でも自分の役割を「代行」しちゃうんでしょうかね。

子どもがそういう大人になっていいの?

そういう人間に育てようとしている意識が、親にはあるんでしょうか。


…とりあえず、我が家は

「来年は余裕をもって夏休みの課題を終える、かつ力作にしましょう。」

を目標に…