初めての前回の投稿から大分時間が経ってしまった。この間、いろいろなことがあったが、ブログを始めてみて気づくことが多かった。


 私は、もう老人である。ここに参加しているのは、ほとんどが若い世代の人たちであると思うが、こうしたメディアを活用して、自分の世界を発信できることは、実に素晴らしいことであると祝福せずにはいられない。その素晴らしい世界へ、老人も是非参加させて欲しい。そして、その実感を味わうことで、良き時代に生きたことに感謝して終わりたいと願っている。


 現在は73歳であるが、つい先ごろまで、いたって健康であることを自慢にしていた。しかし、70歳近くになってから、知らない間に体が蝕まれていたのか、最近、3、4年の間に、ガンの手術を2回とさらに胆嚢摘出と、計3回もお腹を切る羽目に遭遇した。


 ガンの手術においては、一応、5年生存率がそれぞれにおいて何%と示され、否応なく死と直面させられることとなる。つまり、残りの人生をどう生きるのかについて、考えさせられることになる。その意味で、ガンという病気は、いい病気であると表現する人もいるくらいである。漫然と長らえて突然に死と直面して慌てふためいてしまうよりも、自分の人生の終着が告げられ、またそこまでの時間が明確化され、その中で、いわば暴力的ともいえる力によって、自分の人生に向き合わざるを得ない境遇に追い込まれるというわけである。


 ガンというのは不思議な病気で、死と隣り合わせている恐ろしい面を持っているにも関わらず、手術後においても悪化の症状が表面に出てきて自覚されない状況においては、ある程度の不便は伴うものの、それほど問題のない日常生活を送れることである。そのために、私にとっても、まだ元気に動けるという残された時間を、どう過ごして終わっていけばいいのかということがテーマになってきた。


 そこで頭に浮かんできたことが、自分の人生の最終局面の10年余の大学教員生活において、多大の喜びを与えてくれた学生や大学に対して感謝の気持ちを捧げたいということであった。そして、これからの未来への夢を託すという意味も込めて、若い人たちの起業家精神(アントレプレナーシップ)の涵養に努めようということに思い立った。しかし、それを精神論といったものや、机上の空論のような抽象的な議論のみでは、それこそ老人のたわごとと笑われてしまうのがオチである。やはり、ここは自らが実践で示し、そして、その試行錯誤の成り行きを公開して、できれば広く知ってもらう必要がある。


 そこで、まず、このブログを始めた次第である。ブログのタイトルは、「老人起業戦略」と名付けた。白状すると、私はまだ、携帯電話というものを、持ったことがない。そんな情報化音痴ではあるが、しかしPCのワープロで原稿を打つことは出来るので、ここをスタート台にして、これから遅々とではあるが、小さななロケットではあっても、それらを読者の皆さんの応援を求めながら組み立てて、そして、いずれか海のように青い空に発射させていきたいと願っている。鉛筆のような小さなペンシルロケットであっても、それをきっかけに、若者の次のロケットが、ショーシャンクの空へ向かって飛び立ってくれれば、こんなに嬉しいことはない。その空のむこうこそが、私の希望という天国であるのだから。


2011年3月11日は、私にとりまして忘れることのできない日でありました。
それは、この日発生した地震と大津波によって、ふるさとが喪失したからです。私の実家のある宮城県石巻市門脇地区は、本当に何と言っていいか分からないほどに、破壊されてしまったからであります。

海岸に近接していたために、家屋はあっという間に流されてしまい、近所に住む大勢の方々が犠牲になり、しかもたくさんの方がまだ見つかっていない状態にあります。


これまでの自分を支えてきてくれた懐かしいふるさとは、消えてしまい、今や空虚な空洞のような空間となってしまいました。

この実家には90歳を超えたわたくしの母が、それまで元気に、独りで頑張って家を守ってきていました。この母から言われた話をいたします。


私が大学へ入るためにふるさとの石巻から東京へ向かうことになった時に、この母から、言われたことがありました。それは、「朝、起きたら、顔を洗うでしょう。その時にまず、鏡に向かって、ニッコリ笑いなさいよ。そして、ありがとうございます、といいなさい」ということでした。


わたしが、自分にありがとうというのは、なんかおかしいよ、と訊きましたら、それは自分に向かって言うのではなくて、「自分が、今生きていて、とても幸せです。感謝いたします。ありがとうございます。」という意味での、自分が生かされていることへの感謝の「ありがとう」なのだといいました。


そして、これをすると、毎日を穏やかに過ごすことができるし、この「穏やか」ということが人生における一番の幸せなのだと言いました。


それ以来、これを実行するようにしています。また、仕事や対人関係において夜も眠れないほどに苦しみ、悩んでいる時にも、寝床の中で、「ありがとうございます」、「ありがとうございます」と念仏のように唱えていると、不思議と、心が静かに落ち着いてくるように感じます。


この「ありがとうございます」という言葉には、それを声にすることで、とても不思議な力を発揮する言葉だと思います。

今回の大災害によって大勢の人達が苦しんでいますが、その人たちが見せる笑顔には、心打たれるものがあります。しかし、その笑顔の背景には、単に元気が出てきてよかったね、といったことではなくて、悲しんで、悲しんでやっとたどり着いた果ての、自分が生きている、あるいは生かされているといったことへの感謝の気持ちが表れているのではないかと思います。ですから、私たちとしても、それをとても大事にしてあげなくてはと心から思います。


私は、大学、それから大学院のそれぞれにおきまして、主に経済学を中心に講義・指導を行ってまいりました。

その際にも、授業の合間に、この「朝起きて、鏡の前でニッコリ笑う」という事を学生の皆さんにも勧めてきました。


しかし、こんなに簡単なことなのに、学生の皆さんに訊くと、毎日続けてやることは大変難しいというのです。どうしてでしょうか? これも不思議で、また残念なことです。


私たちの誰にでも簡単にできること、それは「朝、起きてニッコリ」です。

そのことを毎日続けることによって、自分が変わっていくのが感じられると思います。そして、自分が求めていた本当の夢にも気づくことができて、それに向かって進んでいけると思います。

ぜひ、これからも、やってみて頂きたいと思います。


今回の大災害の中で、被害者の皆さんは、その悲しみの中でも笑顔を見せています。

私たちも、頑張ろうではありませんか。



読んでいただいて、本当にどうも、ありがとうございました