上矢印の続きです

 

カウンセリング中に「今に集中」が少し出来るようになったら

私の中から『なぜ号泣出来ないのか』の理由の1つが

ムクムク出て来たはなしです。

 

 

 

 

黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

 

 

 

突然ですが、私はすぐ泣く人間です。

夫と喧嘩した時はもちろん、子どもと喧嘩しても泣くし

なんなら『知らない人のお手伝い』とかの小さな善行をしても泣くし

いつでもどこでも勝手に涙が出てきます。

そもそも涙なんて自分で調節することは出来るものじゃない。

すぐ泣くせいで恥ずかしいとかイヤな思いも何度もしてきました。

世の中の「涙は女の武器」なんて言葉はほんとにウザイ。

こっちだって出来るものなら武器にしたいわ。

 

 

 

 

カウンセリングでも毎回

他の患者さんにバレるくらい目と鼻が真っ赤になるから

しばらく隠れていないと恥ずかしい。

 

 

 

 

 

子どもの頃も、母に怒られて毎日泣いていた。

小学1年生の頃に母にピアノを習っていた時なんかは

もう怒られて怒られて泣いて泣いて練習30分の間に3回は母に

「もう顔を洗ってきなさい!!」と怒鳴られた。

 

 

 

 

高学年になる頃には

泣きすぎて次の日には目が腫れてパンパンになる日が増えた。

毎週そうなる時期もあったと思う。

そんな顔で学校に行くのはホント恥ずかしくてミジメだった。

母は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる私に

毎回「顔を洗ってらっしゃい!!」と命令した。

 

 

 

 

 

…私がカウンセリングで号泣したくない理由はこれだった。

 

 

 

 

 

黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

 

 

 

当時は、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃなんだから

母が「顔を洗ってこい」というのはまっとうな言い分だと思っていた。

だから「顔を洗いに行かされること」に関して

母に文句を言ったことは1度もない。

 

 

 

 

 

でも本当は

「誰のせいで泣く羽目になってると思ってるんだよ」とか(もちろん母のせい)

「顔洗ったくらいで泣き止めるわけがない」とか

「私の言い分は聞いてもくれないのに、泣くなとか要求だけはしてくるんだな」と

感じていて

母とのこの日常的なやり取りに実は猛烈に怒っていたらしい。

こんな事全く気がついていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

あの頃、ほぼ毎日母と喧嘩していたことを考えると、

この不満は何年にもわたってそれはもう積もりに積もっていたと思う。

 

 

 

 

 

なんてことを考えていたら

当時の母のせいで泣いてる私のことを

ものすごく汚いものでも見るように「洗ってこい」と怒る母に

ものすごい〇意が湧いてきた。

まあもちろん行動には移さないけどさ…

 

 

 

 

 

私にとって、しゃくりあげるほど泣く=号泣というのは

母に汚らしいものを見る目で見られるという事で

やりたくも無いことをさせられるという事で

どれだけ必死で訴えても意味が無いという

絶望を感じさせられる種類のものだったみたい。

 

 

 

 

黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

 

 

 

いや~すげーな。おもしろいな。と思うよ。

こんなものが私の中にあったなんて

なるほどね。そういうことね。

先生が「脳みそは何でも知っている」と言う意味がわかったわ。

 

 

 

 

 

 

私は自分の怒りは全部母に返してきたと自負してたから

どちらかというと『些細な出来事』に分類されていたこのやりとり。

そこに『8年通ってもカウンセラーの前で泣きたくない理由』になるほど

傷つき続けていたことに本当に気が付かなかった…

 

 

 

 

 

 

 

じゃあということは。

日常的すぎて自分でも気が付かないうちに

妥協して抑え込んできた怒りは他にももっとありそう。

 

 

 

 

 

ちょっとつらくて怖いけど

この先自分の中から何がでてくるのかも

ちょっと楽しみだったりもする。

あ~あ。やっぱりちゃんと心理学の勉強したかったな~

 

 

 

 

終わりです