レビー小体型認知症の父を持つ娘です。

 

2016年11月、”レビー小体型認知症”と診断されました。

 

何も分からないまま、突然始まった介護生活。

 

認知症と診断されてから6年経ちました。

 

私たち家族の経験が、

同じように悩む方の参考にほんの少しでもなればな…

という思いで綴っていきます。

 

医療や介護従事者の方たちへの批判や不満を記すつもりは、

 

全くありません。

 

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https://ameblo.jp/s146013/entry-12733795101.html

 

 

2016年の話

 

11月16日 朝5時半頃に警察へ連絡。

 

朝6時半、私は出勤しました。

 

隣県に住む弟が夜勤明けで到着したのが

午前9時半ころ。

 

まだ父は見つかりません。

 

仕事も手に付かない状況の中、

 

発見の連絡があったのが

 

11時40分ころ。

 

血だらけで、

 

便を垂れ流し、

 

市役所などでもらってきた認知症の資料を入れた袋を持ち、

 

普段仕事をしている、”旗振りおじさん”のタスキを着けた状態で

 

発見されました。

 

自宅から2キロほど離れたアパートの自転車置き場で倒れていたそうです。

 

警察から連絡を受けた弟は車で迎えに行き、

 

地域包括支援センターへ連絡を入れました。

 

地域包括支援センターから

 

認知症サポート医へ連絡。

 

認知症サポート医から、

 

”精神科への紹介状を出すから即入院させるべき”言われたそうです。

 

この入院が地獄の始まり。

 

今となったら、この認知症サポート医が処方したレミニールが

 

全ての悪の根源だったのですが、

 

そんなことを考えている余地もなく、

 

とにかく、

 

地域包括支援センターのいうとおり、

 

認知症サポート医のいうとおりに

 

物事を進めてきました。

 

これが、本当に、本当に間違いだったのです。

 

地域包括支援センターの担当者、

 

認知症サポート医が大ハズレでした。

 

父は、私たちが、

父に隠れて、こそこそ動いていたのを

 

不審に思っていたのかもしれません。

 

市役所からもらった、

認知症の資料を持ち出すなんて…。

 

前日まで仕事で着けていた

 

”旗振りおじさん”のタスキ。

 

それを知ったとき、

 

辛くて、辛くて。

 

その日、精神科への入院することになりました。

 

次の日、

地域包括支援センターの担当者から電話があり、

 

『〇〇先生(認知症サポート医)にしっかりとお礼を言ってくださいね。

病院にお休みの日なのに対応してくださり、

なかなかすぐに紹介状なんて出してもらえないのに

すぐに出してもらったんですから…』と。

 

よく考えたから、

 

公の人が、

 

市民に対して、

 

民間の医療従事者へお礼を言わせる、

 

これって非常識なことのように思います。