母を背負っての杖立詣でも三年になり、

母の体も足も快方に向かい、

 

柳川藩でお世話になった野田藤右衛門一家を招き、

快癒祝いをし、感謝の宴を開いた。

 

母はこれまでの八郎をねぎらい、

「これからはどうぞ文武に精進して

足達家の家名をあげてください。」

と涙ながらに微笑むのだった。

 

二十歳になった八郎は文武に精進し、

特に居合の剣さばきは、

藩中で抜きんでて評判となった。

 

日ごろからの孝心の評判に加えて

剣さばきの評判まで加わり、

ねたむ者も現れるようになった。

 

その中には同じ道場に通う若者も4・5人おり、

ある稽古帰りに、

八郎を裏の神社へ呼び出したのである。

「足達、今日ここへ呼び出したのは居合にかけては

藩中に貴公に及ぶものは誰一人いないときいておる。

我々の親からも貴公の話が出ない日はなく、

朝でも、早く起きろ!

もう足達家では朝の稽古の気合が聞こえておるぞ!

と攻め立てられる。

しかし、我々は貴公のその腕前を一度も見たこともなく、

友として恥ずかしい限りだ。

そこで、今日はそなたの腕前を我々に披露してほしい。

丁度蜻蛉の季節で、そこここに飛んでいる。

あの蜻蛉がそこの岩に泊まった時に、

藩中一といわれる居合切の腕前で

一刀のもとに切ってくれるだろうか。」

八郎は困惑した。

人前で剣を抜いたこともなく。

もし、失敗をすれば、もちろんあざ笑われるであろうし、

成功しても、 

蜻蛉を切るときに岩に刃が当たれば

剣先が刃こぼれをし、

嘲笑と愚弄されるみなもととなるであろうことは、

火を見るよりも明らかであった。

八郎はにっこりと微笑み、

「いえいえ、私は新参者にて未熟者。

どうぞお許し願いとうございます。」

「妙に新参者と言うなあ。

新参者でも藩中で一番の腕前。

切らぬということは我々を軽蔑しているのか。

それとも、我々を軽く見ているのか。

どちらにしても、願いは一切聞かぬということであろう。」

 

あくまでも罵り騒ごうとしていることは明々白々だった。

 

「できないことをして、剣の師匠の名前を汚せませんし、

私の帰りを待つ病気の母もおりますので、これで失礼いたしたい。」

 

「いつも、いつも親のことを持ち出すが、

孝行者は貴公一人ではないぞ。

まさか、石の上の蜻蛉は切れるはずはない。

孝心を持ち出して、逃れようとしているのか。」

「失敗を承知の上で、仰せのように

蜻蛉を切って見せましょう。」

 

仕方なく、肩の道具をおろし、

腰の剣に手を置いた。