171016 掲載記事

 

日韓合邦は朝鮮人がお願いしてきたからしてあげた

黄分雄の言っていることは間違っている。勝手な解釈もはなはだしい。まず、日清戦争前の話をすると、親日朝鮮人がいたことは確かだ。当時、朝鮮では、金玉均が「日本がイギリスなら朝鮮はフランスにならなければならない。」と言っているように、日本から学び日本についていこうとする朝鮮人も少なからずいた。しかし、他にも清に着いていこうとする朝鮮人、またロシアについていこうとする朝鮮人、日本だろうが、清だろうが、ロシアだろうが、誰にもつかず、自らの国は自らが守る、とする朝鮮人も混在していたのである。ここで、日本についていこうとしていた朝鮮人を事大党という。しかし、事大党が日本が原爆を落とされて敗戦するまでの期間、ずっと親日であったかというとそうではない。

 

甲申政変

金玉均が、日本の援助を受けて、朝鮮でクーデターを起こした。日本人はこのクーデターに大金とつわものを用意すると口約束していた。しかし、当日になって、金もつわものも用意しなかった。ならず者をもってよこした。当然、金玉均の思うようにクーデターが成功するわけがなかった。たとえ、暗殺に成功しても金がなきゃ、何もできない。大失敗に終わった金玉均は、日本人に見捨てられ逃亡生活を余儀なくされた。金玉均は日本の背信をなじった。日本にはないが、逃亡生活で書き残した日本人に対する恨みも記録として残されているそうだ。当然、金玉均のような朝鮮人は日本人の裏切りにより親日から反日に切り替わっていったと思われる。

 

独立門

そして、日清戦争で日本が清を倒し、朝鮮人が独立を祝って独立門を建てたのだが、この独立門の「独立」という意味は、清だけでなく、日本にも独立している状態であることを意味している。つまり、独立門を建てた朝鮮人たちは、日韓併合はもちろんのこと、日韓合邦すら望んでいなかったのだ。「独立」を望んでいる人が、「併合」を望むわけがないでしょ。矛盾している。

 

一進会

独立門を建てた朝鮮人とは違って、日韓合邦を望んでいた朝鮮人もいた。その代表が李容九である。しかし、日韓併合したのを見て裏切られたと言い残している。朝鮮が日本に滅ぼされてしまった。どんなに悔やんでも、もう遅い。取り返しのつかない事態に、相当のショックを受けたのか、2年後に急死してしまう。金玉均のいうように、「日本がイギリスなら、朝鮮はフランスでなければならない。」と言ったように、フランスにならんとする朝鮮に協力してくれるからこそ、親日だったのに、日韓併合しやがったのである。当然、日本人を信用し日韓合邦を望んできた一進会の朝鮮人たちの多くが、反日に翻って言った。こういういきさつがあるので、黄分雄が言うように、一進会は日韓合邦を望んでいた!だからしてあげた!という発言は、歴史捏造のなにものでもない。裏切ったというのが史実なのである。

 

朝鮮軍と戦闘

日韓合邦を望んでいた朝鮮軍は、大金をつかまされ解散を告げられた。騙されたことを悟った朝鮮軍は、大金を地面に叩きつけ、地団太踏んで悔しがった。そして旧式の武器で新式の武器を持つ日本軍と戦った。そのときの様子がフランス人にスケッチされフランス紙に掲載されている。こうしたことから、日韓合邦を望んでいた朝鮮人ですら日韓併合を望んでいたわけではないことが分かるし、親日を止めて反日になっていったと思われる。戦闘に負け生き残った朝鮮人を日本人はその勇敢さを褒め称え、日本軍に入れることになるが、心から入りたくて入ったのではなく、日本軍に入らなければ死あるのみだ。生き残るためには日本軍に入るという選択肢しかなかったのは明白である。日本軍になったから親日と判断するのは勘違いの可能性が高い。反日を押し殺し日本軍として終戦まで働いたとも考えられる。「終戦するなり手のひら返して朝鮮人は日本人に恩をあだで返した!」なんて怒っている人が多いが、手のひら返したのではなく、反日をずっと隠し持っていただけじゃないのかい?と思われる。そうするしか生き延びる選択肢がなかったからだ。

 

こうしたいきさつを考えると、日韓併合を望んでいなかったことが分かる。そして、なぜ朝鮮人は反日なのか、なぜ、朝鮮人は日本の恩が分からないのか、も理解できるのである。

 

そう、答えは、日本は朝鮮に恩を与えてやったと勘違いしているだけなのだ。