4世紀末に朝鮮半島から日本に漢字と儒教を伝えられました。その朝鮮人のお墓が日本にあります。王仁(わに)の墓です。当然、日本人のほとんどの方が知らないでしょう。と言うわけでとりあげて広めることにしました。
場所は、大阪府枚方市藤阪東町2丁目。
これは王仁の墓と同じ敷地内に建てられている百済門の内部です。一見して、朝鮮だと分かります。
百済門
王仁(わに)博士は、百済の阿芋王の時代、応神天皇の招きで朝鮮半島の百済から「論語」10巻・「千字文」1巻を携え渡来し、皇太子の師傳となられたと、古事記、日本書紀に書かれています。そして学問と経史を傳授(でんじゅ)し、日本文化の源流である飛鳥文化の始祖となったと伝えられています。百済人である王仁は、当時、偉大なる学聖と日本人から崇められていたのです。このように4世紀末に朝鮮半島から日本に漢字と儒教が伝わりました。
千字文
また、王仁の子孫は文筆をもって朝廷に仕え、西文氏(かわちのあやうじ)として羽曳野市の古市付近に居住し、周辺は河内随一の渡来文化の集積地として、発展していったのです。
王仁の墓
日本は、文化的には百済に負うところが、きわめて大きい。
儒教については、もう書いた。では、次は仏教。
仏教は、欽明天皇(552年)、百済の聖明王が、釈迦仏の金銅像一体と、いくらかの経典を朝廷に献じたのが伝来のはじめである。
儒教が我が国で発展するのは、かなり後のことになるが、仏教は、ほどなく、絢爛豪華な大発展を遂げる。この間、百済の我が国仏教発展に貢献したところは、きわめて大きい。
景福宮の中に国立中央博物館がある。そこに、弥勒菩薩像があった。慶州で発掘されたものであるが、これは百済式。これが京都市右京区太秦にある広隆寺の弥勒菩薩像とそっくりであった。広隆寺は飛鳥時代の仏像はじめ貴重な文化財が多いことで有名だが、ここでも百済仏教の影響のいかに大きいかが証明された。
これなどはほんの一例である。日本と百済とはきわめて仲が良かった。天智天皇の近江朝で、百済人が帰化すると、すぐさま、政府高官、もしくはそれに準ずる顕職に任ぜられることも珍しくなかった。帰化人は、ほとんどみんな優遇された。差別のサの字もなかった。
百済、新羅から李王朝の朝鮮に至るまで、諸王朝から思い切って高い文化を輸入または略奪して、文化と生産力を向上させてきた。こういう経緯からか、韓半島の人々は、日本の武力をいたく恐れたが、日本国内でどういうことが起きているのか、日本文化はどうなっているのか、当時の韓半島の人々は、ほとんど関心がなかった。日本人無知、無視であった。関心がなかったというところは、戦後の日本人とよく似ている。
1731年、京都の儒学者、並川五一郎が文献により現墓所中央の自然石を王仁の墓と考証領主久貝因幡守に進言「博士王仁之墓」と刻んだ墓碑をうしろに建立した。
この件からも明治維新前の日本人が朝鮮をいたく尊敬していたことが伺えます。しかし、一方で秀吉が朝鮮征伐をするくらい朝鮮を侮辱する者もいて「尊敬と侮辱」の二面性を持っていたようです。秀吉軍は朝鮮の李退渓の蔵書を3万冊も焼いている。このように李退渓を侮辱する日本人も同時に存在していた。それもこれも日朝同祖論と神宮皇后の三韓征伐により、「古代朝鮮は日本の属国である」というあり得ない妄想が当時から信じられていたからである。
今の日本の歴史家は、神宮皇后の存在を必死で否定しようとする。さらに李退渓の反対派の書物を取り出しては、日本人は李退渓を尊敬などしていなかったと必死に抵抗しているように見えるが、「古代朝鮮は日本の属国である」というあり得ない妄想がある限り、それは無理があるのではないか?李退渓を軽蔑する日本人も確かにいた。しかし、この人たちの考えが根本的に間違っている以上、江戸幕府が朝鮮から文化を学んだことを覆すことはできんよ。お前たちには、こう言ってやりたくなる。「ご苦労さん」
圧倒的な読書量によって形成された「知識」を用いて江戸幕府を支えた林羅山。惺窩(せいか)や林羅山が儒学について講義するときには、テキストとして、たいがい朝鮮本を用いた。儒学の書籍の大多数は朝鮮本であった。いや、儒学だけでなく、医学、天文学などにいたるまで、朝鮮本から学んだ。徳川は、朝鮮の李退渓の朱子学を日本の正学としたのでる。
徳川時代も、日本人は韓国の文化をいたく尊敬し、韓国人自身さえも驚くほど韓国の国内事情に通じていた。朝鮮の学問の日本に対する影響たるや、かくのごとくも大きい。徳川幕府の日本のインテリは、朝鮮の学問や朝鮮の学者の事跡を良く知っていたのである。この朝鮮本のテキストは、もう残っていないだろう。残っていたとしても誰も表には出したがらない。
この時代、日本人は朝鮮を属国視しながらも、それほどまで、韓国文化の輸入に熱心であった。朝鮮は先生で、日本は生徒であった。
この関係が明治以後は逆転したのである。
現代の日本人は、神宮皇后の三韓征伐で秀吉が朝鮮征伐したことも、また同じ理由で、明治、征韓論が唱えられ朝鮮を侵略したこともすっかり忘れてしまったのである。それどころではない。あろうことか、現代の日本人は、朝鮮では20世紀まで文化がなく、日韓併合で何もかも文化を日本が与えてやった、というとんでもない妄想が急激に広がっているのである。
1937年、北河内郡菅原村山中信造村長が大阪府に史跡指定を上申。
1938年、大阪府は古文化記念物等保存顕彰規則により史跡十三号に指定した。
1940年、財界文化人有志により周囲に玉垣を寄進。
偉大なる日本儒学の祖、博士王仁と書かれています。
朝鮮統治時代にもこのようなことを行われていたんですね~。
あら?橋下徹まで・・・・。感謝状出してます。さすが知事。
古代日本の正史である「日本書紀」は、裏から読めば三韓(百済、新羅、高句麗)の歴史とも言えるものです。「日本書紀」から三韓を抜いたら、この歴史書は、たちまちガタついて崩壊してしまう。
トラネコ日記さんは、日本と朝鮮はたったの17回しかかかわりがないと爆笑しているが、なぜ、このような勝手な判断で隣国の歴史を勝手に作り上げていくのか、無責任にもほどがある。
無知ならまだしも、理論理屈が成っていない。思考回路がどうかしている。
大恥もいいとこです。
今日ほど、日本人の韓国人に対する地位の高い時代はない。日韓交流二千年史からみて、まことに異例なことである。この異様さに、日本人が気づいていない。
日本の朝鮮無知、無視。日帝時代から今に至るまで、いくらなんでもひどすぎる。日本の朝鮮学研究はお粗末もいいところ。国史教科書には、五千年の韓国固有の歴史については、一言の言及もなされていない。
韓国が誇るべき歴史を有し、日本が二千年に渡ってその恩恵に欲してきた。
日本人の文化的忘恩症は、骨がらみの重病だ。
「韓国は日本の恩を忘れた!」なんて。よく言うぜ、まったく・・・・。
ねえ、呉善花(済州島人)、黄文雄(台湾人)、石平(中国人)さん
みんな日本人じゃないし・・・・(爆笑)
「呉善花(韓国)が」と赤文字で強調していますが、こういうところに日本人のやらしさを感じる。
「呉善花(韓国)」ではなく、「呉善花(済州島人)」と強調しておきましょう。
また、崔氏や鄭大均のような対日事大主義者もお忘れなく・・・・。






