「日清戦史」 国王を探し出す内容


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すでにおおむね王宮内の韓兵を駆逐し、囲壁は四周とも日本兵の占領するところとなった。後は、ただただ王宮内部を捜索して、国王の所在を発見して捉えるのみとなった。


山口大隊長は、国王の捜索を第五中隊、第六中隊の二分隊に命じた。須臾にして、第五中隊より報告があった。「国王を発見した。雍和門の中にいた。韓兵が国王を守護しています。」そこで、大隊長は、その部下に発砲しないように命令し、大隊長自ら王の所へ赴いた。(当時国王は、雍和門の中の減和堂にいた。王妃はその後宮絹敬堂にいたが、戦闘が開始するや、国王の元によった。)

山口大隊長の雍和門に到着した時には、第五中隊の一部がすでに門内に入って韓兵と談判中であった。韓史達は、「外務省弁今や、大鳥公使の元に行って、今、談判している。彼が帰るまで軍兵を雍和門内に入れないように希望します。」と、大隊長に請うていった。大隊長は、「門内に多数の韓兵が見える。もし韓兵のもっている武器を我々に引き渡せば、あなたの言うとおりにしましょう。」と言った。しかし、彼は言うことを聞かなかったため、大隊長は、剣を抜き、部下に指図して門内に突入するよう号令をかけた。彼らは大いに驚き、国王の裁決を得るまでの猶予を請い、韓兵のもっている武器を日本軍に引き渡すことを承諾した。」


日清戦史では

山口大隊長、国王に謁す

大隊長は、国王に謁見することを請い許した。啓していわく「今や図らずも、両国の軍兵が交戦し、殿下のお心を悩ませたのは、韓兵の外臣の至らなさに原因がある。しかれども、貴国兵の武器はすでに我々に引き渡された。我が日本兵は、韓兵を保護し、決して危害を与えません。殿下よ、快く承諾せよ。」と言った。


これより雍和門内にいた韓兵の武器はもちろん、門内を捜索して、すべての韓兵の武器を日本軍が押収し、これを唇居門外に運び込む。[第七中隊は、兵を率いて運搬作業の手伝いをした。]この間、第五中隊を雍和門に集合させ宮殿の周囲に兵を配布して警戒させた。すでに午前9時過ぎになっていた。


朝鮮王宮占領の経緯はかくのごとし。


明治甘七八年日清戦争史では

山口大隊長は国王は雍和門にいる知らせを得たので、部下の発火を制止し、国王の所へ赴いた。しかるに、門内に多数の韓兵が騒ぎだし撃ち合いとなった。韓史に交渉しその武器を解いて日本軍に引き渡させ、ついでに国王に謁見’を求め、両国の軍兵を意図しない不測の撃ち合いとなって、国王に心配をかけたことを謝罪し、「国王を保護し、決して危害を与えない」ことを誓った。


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このように、「韓兵を保護する」から「国王を保護する」と書き換えられている。さらに、日清戦史では、たちまち国王は見つかった、というような書き方になっているが、戦地から送られてきた報告によると、韓兵を捕まえ、王の所在を詰問し、案内させて何所を突き止めた、と書かれている。さらに、日本軍が韓兵から武器を没収していると国王が出てきて、国王自ら直接制止した都書かれているのである。これは、日本の明らかな歴史捏造である。


また日清戦史に、王宮占領と同じ日、ミンピ一族と誠意時的に対立していた大院君の邸宅を日本軍が取り囲んでいた。そして大院君を連れ出し、ミンピ一族を宮廷から一掃し、国王を日本の支配下におく。と書かれている。ついでに大鳥公使も宮殿に一緒に入っている。このようにして、日清戦争勃発直後にすでに日本は朝鮮政府を日本の支配下においていたのである。このような記述がかかれた日清戦史が、日本の図書館で見つかったのだ。


このような計画的な朝鮮王宮占領の事実が暴露されては、列国の非難を招く恐れがある。したがって、ことの真相は、決して明らかにしてはならないと、日本政府は、歴史を隠蔽し、今に至っている。この小さな嘘が、今や取り返しのつかない事態となって、隠蔽ですんだ日本の歴史認識が、捏造にまで至ってしまっている。


日本軍による王宮占領の翌日、大院君の下で、新内閣が組織された。この新内閣から、「清朝中国軍を朝鮮から駆逐すべし」という日本軍への公式の依頼文書を出させようとしました。まるで、朝鮮人自らが、清から独立させてくれ!と日本政府にお願いする形となるように法的文書を武力をもって偽造し、日本へ提出させようとしたのです。このことが、日清戦史に書き残されている。


日本軍は、北の方、ピョンヤン付近に清朝中国軍が上陸し南下してくると、日本軍が挟み撃ちにあう危険性があったため、一刻も早く、ソウル南方、約90キロの牙山付近にいる清朝中国軍の軍隊を撃破しに向かった。このようにして、日清戦争というのは、朝鮮王宮占領から始まり、朝鮮政権を日本が統治し、さらに朝鮮を征服しようと日清戦争へ発展していったのである。


このことが、日清戦史に記述が残されている。



さて、やっと載せたぞ、数ヶ月かかった。記事はとっくの昔にできていたのですが、いろいろあって、心に余裕がなくて遅れてしまった。申し訳ない。


まだ続きがあるので、興味があるなら、本を手に入れて読んでくだされ。


嫌韓がよく、我々は証拠を示した!と、言ってくるんですけど、偽造されたかもしれない証拠を根拠にされても困るんですよ。だから言っているでしょうが、歴史を偽造できるのは、「法」治国家である日本ではたやすいことだと。また、侵略された側の朝鮮には、証拠を残すすべがなく、証言しか残っていないと・・・。


この機会によく考えることだと思います。偽造された証拠を持ってきて史実だと言われても困るのです。司法裁判所で偽造された証拠を持ってこれば日本は韓国に裁判で勝つでしょう。裁判なんて公平だと私は全く思わないですね。日本の裁判所も証拠もないのに、小沢一郎が逮捕されるし、あれだけ悪党にしたてて、「無罪」?信じられんね。こんな魔女狩り裁判が横行するようでは、民主政治ではありえん。田中角栄も犯罪者扱いされているけど、田中角栄は、民主政治を行った戦後最初で最後の首相だった。田中角栄を殺すことで、日本の民主政治は死に絶えた。もはや日本の政治は、三権分立など機能してないわ!どこまで、日本国民をだまし続けるか!