2014年1月3日 13:31 投稿記事。

倉山満バカ教授と言ってきたが、この人教授じゃなかったみたいだ。このバカの本を買ってしまった。こんなバカ本を買って儲けさせてしまうとは・・・。

嘘だらけの日韓近現代史
「ふふっ、私の頭脳は優秀だ。」 って顔してる(笑)

この方は日修好条規を結んだのは、清に対する礼儀だといってますが、笑ってしまう。なら、なぜ日修好条規は、日修好条約とそっくりなのですか?日本のバックには、すでにイギリスがいました。日本は清に対する礼儀として日朝修好条規を結ばせたのではなく、帝国主義の家元大英帝国の真似をしたのです。日朝修好条規も日英修好条約もどちらも不平等条約です。帝国主義の真似をしておいて、これは暴力ではなく、礼儀だと解釈するとは、いったい、どういう思考回路をしているのか?

日本が朝鮮に不平等条約を武力をもって結ばせたのは、お金儲けするためです。その裏付けに日本は海外から特に西欧列強から莫大な輸入を行っています。この莫大な輸入量に匹敵するほどの輸出量を得なければ、日本は財政破綻し、大日本帝国への道は断たれていたでしょう。明治政府を作ったはいいが、財政が非常に苦しかった。日本が近代化に成功するためには、なんとしても朝鮮に不平等条約を結ばせ、財政をたてなおすための需要を欲したのです。だから、征韓論が唱えられた。ロシアの脅威から日本を守るためには朝鮮を征服するしかなかったという解釈は、口実作りにはもってこい。だってこれは本当ですから。利用しただけ。

倉山満いわく「朝鮮に不平等条約を結ばせたのは、清に対する礼儀であり、国際関係の力のバランスをとるための外交上の都合だったのです。」

清の礼儀だって?倉山満の言い方は、まるで清に礼儀を示しても、示さなくてもどちらでもよかったが、礼儀を示してやった的に語っている。いやいや、日本にとって選択肢は一つしかない。朝鮮を侵略しないと日本が財政破綻する。これだけの決定的動機があるにもかかわらず、何を言っているのやら。

清に対する礼儀?(笑)そんなに礼儀正しい日本人がなぜ、朝鮮総督府を朝鮮王宮のど真ん中に建てたのやら。これも清に対する礼儀ですか?だったら、なぜ国書を朝鮮に渡したのかね?朝鮮をコケに扱うことが、清に対する礼儀?いや違う。日本は鎖国をしてたために、当時のアジア情勢には、全くの無知であった。その証拠に江戸時代、朝鮮通信史が日本にやってきたときに、朝鮮の中国の影響をうけた物珍しい朝鮮衣装や装飾に釘付けになっています。日本は当時のアジア情勢に無頓着であったために、朝鮮に「良かれ」とおもって国書を出しているのです。「良かれ」と思って出したから、朝鮮が国書を受け取らなかったことに対し、日本人は朝鮮人は無礼だと怒ったのです。もし清の礼儀であったなら、朝鮮をコケに扱うのを自覚していたはず。だったら、怒るのはおかしいでしょうが・・・。要するに、日本は当時のアジア情勢を全く理解できていなかった。無知であった。そんな無知な日本人が清に礼儀を示すなんておかしな話。当時アジアはアジアの秩序があった。ところが、近代化はこのアジア秩序と真っ向からぶつかった。だから、アジアは、ことごとく近代化に失敗していった。ところが、日本はアジア秩序を全く理解できない無知であった。無知ゆえにアジア秩序を気にすることなく、近代化にまっしぐら突き進むことができたのである。そして犬のようについてくる日本を、イギリスやアメリカがかわいがったのだ。日本はアジアの端の島国であったがために、鎖国をしていたがために、、黄金の国であったがために、アジア情勢に無知であったがために、中華思想という影響を受けることなく、まっしぐらイギリスやアメリカを先生とし近代化の道へと歩むことができたのである。よって、これだけの理由がありながら、朝鮮に不平等条約を清の礼儀のために結んでやったという倉山説は、バカ説だ。



これ、小室直樹さんの考えに、少し私の考えをミックスさせたハッシー論です。これ以上の説得力のある説明があるなら教えていただきたい。私はこれ以上の解説がないと思っている。ただし、日本にとっては自衛戦争といえば自衛戦争であったろう。この頃は日本はアジアの英雄へと成長する過渡期であった。しかし、途中から侵略戦争に切り替わった。途中から日本が変わらなければ、どれだけ日本人として堂々とし、誇りに思えていられたか、しれない。

嫌韓から「これは一つの考え方だ!証拠にはならない!」と言ってきそうだ。なら、あなた方の求める決定的証拠を示しましょう。これです。

歴史の偽造をただす 


この本は、1994年、中塚明さんが、福島県立図書館の「佐藤文庫」で、旧日本陸軍の参謀本部で書かれた「日清戦史」の草案の一部です。この日清戦史が所蔵されているのを発見したのです。驚くべきことに、その中に、日清戦争の日本軍の一番最初の攻撃が、清ではなく、朝鮮王宮占領から始まったことが書かれています。その後のソウルの景福宮占領についても詳細に記録されていました。これは、日本軍の戦争指導の最高機関である参謀本部が詳しく記録したものです。これこそ、日本が歴史を偽造した決定的証拠・資料です。本来、合法的に歴史を捏造できる立場にあるのは、「法」治国家である日本であって、朝鮮ではありません。これが感情論ですか?

その内容は、今や、日本国民の常識となる歴史認識の元となる「明治甘七八年日清戦史」に書かれてある内容と、似ても似つかぬ内容でした。さらに、「朝鮮の独立のために」この戦争をするんだと内外に宣言した天応の開戦の詔勅と矛盾するのです。

日本が歴史を捏造した明らかな証拠が見つかった。そのことが、参謀本部自身が書いた記録、日清戦史の「草案」によって明らかにされたのです。その陸軍参謀本部によって書かれた「日清戦史」には、日清戦争で多くの死者を出したのは、実は中国軍ではなく、朝鮮人であったことが書かれてあった。

日本軍による王宮占領は朝鮮人の大きな怒りを招きました。東学農民戦争がふたたび蜂起し、何万もの朝鮮人が日本軍の侵略と戦ったのも、この王宮占領を黙って見過ごすことができなかったからです。朝鮮人は日本政府・軍の方針で皆殺しの目にありました。

驚くことに、この「日清戦史」は、中国語や韓国語に翻訳され、出版されたと聞いています。多くの韓国人や中国人に読まれています。国際も読んでいます。アメリカにも読まれています。このようにして、今現在、すでに日本の公権力による歴史捏造の真実が国際的にも明らかにされてしまっているのです。

これを知って納得いきました。日本に経済を支えてもらっている韓国が、なぜ日本を怒らせるような自殺行為を行うのか。それは、国際的(一部)にも朝鮮の主張が通るようになったからだと考えられます。国際に認められれば、かなり有利ですね。

次回、2回に分けて「日清戦史」の内容を紹介しよう。

さて、でもね。中塚明さん。われわれ読者にとって、こんなもの示されたところで、証拠でもなんでもないんですよ。なぜなら、この写真にある日清戦史と言う資料は、中塚さんが作ったものかもしれないからです。これでは、読者に決定的証拠を示したことになりません。

これは、水間政徳さんに対しても同じことが言えます。読者にとってあなたの示した資料は、日本政府・陸軍によって偽装されている可能性が高い。であるなら、中塚さんも、水間さんも結局は、あなた方の示した資料は、偽造なのか本物なのかの検証が必要で、その検証をするには、おのおのの事実・事象が、全体的なストーリーに辻褄が合うように論を組み立てて検証していくしか方法はないと思います。日韓が共同で歴史をつくり話し合い、殴り合い、そうしながら折り合いをつけていくしかないのです。まっ、絶対にそんなこと実現しませんが・・・。