大人にとって幼稚園児は「何を言っても何も理解能力のない幼い年齢だ」と思っていることだろう。幼稚園児に対して、そのように思われては困る。園児たちは大人、両親の思っている以上に賢く、理解能力があるのである。
幼稚園の異性の友達で好きな誰かがいれば、その子に告白するどころか、契約書まで書かせ、さらには浮気したとか、しないなどの人間ドラマをやってのけてしまう。
幼稚園児にもなれば、女の子・男の子ともに立派に「同性」「異性」とを意識して対応する。そう、その対応の仕方は自分の両親そのものである。
男の子は女性の乳房に興味をもち、女の子は外見を気にしてお化粧に興味を示す。アニメ、クレヨンしんちゃんの“しんのすけ”がアニメならではの「特異な幼稚園児」と思っている人はいないだろうか。あんなにオマセで生意気な幼稚園児なんてアニメだからと思って見てないだろうか。いや、そんなことはない。幼稚園児にもなれば“しんのすけ”と同じように異性を見るようになっている。
そして、さらに園児たちのすごいところは、異性を性的対象とみていることを親の前では隠すのである。「これを親に知られたら恥ずかしい」「これを親が知っても嬉しくないだろう」等々、すでに状況把握能力を身に付けてくる年齢である。
つまり何をもって「幼い」と定義するかである。社会的には「幼い」“はず”の年齢であっても考えていること、やっていることの多くは大人とそれほど変わらないのである。
特に園児たちの「大人のやり取り」が際立ってくるのがバレンタインデーである。多くの女の子は幼稚園(保育園)に通って初めて知るイベントである。そして義理チョコ、さらに友チョコの「儀式」まで習得する。誰にどんなチョコを、どこで渡すのか・・・・すでにこの時から女の子の「女子力」が問われている。幼稚園児という権限を最大限利用して「大人の女性」に目がいきがちな男子を、どうやって自分に振り向かせるか、正念場である。
ただ、問題なのが男子が気がつかない点である。チョコを貰うことで「美味しいお菓子をくれた」としか思っていない男子が意外と多い。そしてバレンタインデーのことを男子の親はあまり本人に語ってはくれない。ここに家庭の内がみてとれる。つまり日々、息子の話し相手となっているのが女性である母親であるということである。
(残念ながら)日本のバレンタインデーは女性から渡すもの。よって家で娘と母親が一緒にチョコをつくる工程が生まれる。そうなればバレンタインデーの意味も理解しやすくて意識しやすい。その点、男の子はそういった工程もなれば母親たちも息子がチョコを貰ってこない限りバレンタインデーについて語ることは少ない。何故なら前日の2月13日にバレンタインデーについて息子に説明して納得したとしても自分の息子が果たしてチョコを貰えるのだろうか、わからないからである。息子がチョコを持って幼稚園から帰ってきてからバレンタインデーについて「後々になって」話す。だから男子は意識が薄くなるのだ。もし父親と一緒にいる時間が長ければ少し状況は違っていたかもしれない。母親という息子に対しての異性ではなく、同性である父親の方が厳しいのである。これは何事においても同じで同性同士の方が厳しいのである。チョコを貰えるか、そうでないかの現実をさらりと父親たちが伝えると、男の子たちは明日チョコが貰えるかを意識する。こうすることで男女ともに意識をした効果的なバレンタインデーとならないだろうか。
幼稚園児の子どもを育てるということは社会的知識の浅い大人を育てることと何ら変わらないことなのである。だから大人の話もちゃんとしてあげる必要がある。
