この会社では大手生命保険会社で勤務していた経験が本当に役にたちました。


数字の統計表作りは得意分野でした。


私の店舗は本社が東京にある札幌支店の札チョンの支店長さん達で連日、賑わいました。


カウンターに並べた大皿の家庭料理が大ヒットしました。


立派な立場でも単身赴任は寂しいのだと伝わりました。

会社で借り入れているマンションに帰宅しても誰も

「お帰りなさい」

とは言わない生活ですから。


私の店舗は入り口で靴を脱いで上がる作りでした。

一日中、革靴を履いてお仕事をしていると疲れると思い靴を脱いで上がる作りにしました。


そして私は時間を見計らい下駄箱に入れられたお客様の靴を真心を込めて一足づつ丁寧に磨きました。

それはヤクザの父が履く靴を若い衆では無くて母が毎日、磨いていたのを思い出して自然と出来ました。


靴を磨く姿は出来るだけ見られない様に玄関の隅で磨く様に配慮していましたが、たまたま、私の、その姿を見たお客様が感動されて次に繋がって行きました。

ほんの小さな心遣い、母を見習った結果でした。


系列店からも沢山のお客様を御紹介頂いて順調に歩んで行きました。


私の仕事は夜ですが早起きして朝の10時に一度、事務所に出向き売掛のお客様の請求書に一枚、一枚、手書きで御礼状を書いて同封したり、お礼の電話をかけたりして昼まで過ごしてから一度、帰宅して息子と昼食を共にして夜は店舗に行く生活でした。


当時、系列店には沢山のママが居ましたが会議以外、朝から会社に来るママはいませんでした。


そんな日が続く中、毎日の様に通うお客様がいました。


いつもカウンターに座り、さほどアルコールは飲まず大皿に持っているお惣菜を何品か食べて帰られます。


何回目かに来店された時、その方からお名刺を頂きました。


そして、私に話があるから都合の良い時に電話下さいと言われて帰られました。


会社には不動産会社の社長の肩書が書いてありました。


何のお話か?

全く、わからないまま翌日、事務所から、その方にお電話をしましたら

「一度お話をしたい」

と言われて待ち合わせのパークホテルのレストランに出向きました。


この時に更に私のススキノでの行く道が変わる事になります。


−話は続きます−