私には何も取り柄がありません。


小さい頃から習い事をしても長続きしなくて。

母は母で嫌なら辞めなさいと何事も強制しませんでした。


ただ一つだけ自分で自分を評価できるのは仕事だけは真面目にする事です。

変に責任感が強くて。


だからレジから会長秘書になった時も事務所には最後まで残り全てのゴミを捨てて電気のスイッチを消して暗い道を帰宅していました。


その努力が報われて最初は私に対して変な目で見ていた事務員さんから信頼を受けて、役員の方にも可愛がられました。


会長が東京にいる間に、私は新店舗の企画書を作り上げ次に会長が札幌に来る日の朝に、そっと会長の机の上に企画書を置いておきました。


駄目で元々。

商売も知らない素人が書いた企画書ですから。

そんな軽い気持ちでした。


ただ企画書には細かい事、例えば食器から、ターゲットにする客層は札チョン族(札幌に単身赴任の男性の別名)店舗内装は落ち着く京都風に障子や竹を使う事、鹿威し(ししおとし)を置く事や店名は「ゆき丸」と会長の筆字で書いて下さい等、細部まで気を遣い書き上げました。


ちょうど南4条西2丁目に新しくビルを建てていたので、その中をイメージして書きました。


会長が札幌に入った日の午後に私は会長に呼ばれました。


「この企画書は君が書いたのかい」

と。私は

「はい」

と答えました。


会長からは何の答えも、ありませんでした。

しかし、翌日に半紙に筆で

「ゆき丸」

と何回も書いているのです。


私が決めた店名の「ゆき丸」

は来店されたお客様が幸せでまぁるい気持ちになる様にと命名しました。


企画書に店名は会長に書いて頂きたいと書いた事が今までに無い事で、いつもは専門の看板屋さんに依頼していたのですが、私の発案が嬉しかった様で、普段は決して笑顔を見せない会長が笑顔で半紙に「ゆき丸」と書いているのです。


正直、発案した私が驚きました。


会長はお洒落で背が高く素敵な男性でした。

無口で時には怒っている様に見える顔。

私は亡き父を会長に重ねて見ていたのだと思います。


それから数日後に会長に呼ばれました。

「商売は難しいよ。君が、やりたいなら構わないから頑張りなさい」

と。

そして

「何枚か書いたけど、どれが良い?」

会長の字で書かれた店名の半紙が何枚もありました。


私は私が商売をしたくて企画書を書いたのでは無いのですが事の流れで私が、する事になりました。


その時、私は運命のチャンスを掴んだと思ったのです。


打ち合わせが重なり、一つの店舗を作る事の大変さを学びました。


多分、会長は私の企画した店舗に3000万円は投資したと思います。


素人の私に多額の投資でした。


企画書通りに嫌、それ以上に素敵な店舗が出来上がりました。


お店のコンセプトは

「お帰りなさい」

を合言葉に開店日を迎えました。


私は、その日から秘書から女将と呼ばれる立場になりました。


本当にお客様が来店されるかしらと不安な中、開店の時間になりました。


さて、お客様は来て下さったでしょうか?


−話は続きます−