私は社長からの電話の約束の時間に事務所に行きました。
行く道中
「首になるのかなぁ」
と不安になりながら自宅から歩いて行きました。
夏の暑い日でした。
母には心配かけるので何も話さずに用事があるからとだけ話して家を出ました。
事務所に入ると社長が笑顔で私を迎えて下さいました。
「〇〇さん、実は会長からの話なんだけど」
と切り出しました。
「レジを辞めて会長秘書にならないかい?」
と。
社長の話しだと私の履歴書を見た会長が私の経歴を気に入り私には内緒で私の働いているクラブに私を見に来たそうでした。
レジにいても、直接お客様を見る事は、ありません。
お会計は黒服の仕事ですから私は伝票とお会計票を黒服に渡すだけです。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
も頭を下げていますから、お客様の顔は、わからないのです。
いつ、会長がいらしたのかも、私には、わかりませんでした。
私は何時に帰れるか、分からず理不尽にイジメられるのに嫌気が差していたので即答で
「お受けします」
と答えました。
結局、クラブでのレジの仕事は2ヶ月で終わる事が出来ました。
レジから会長秘書になるなんて、その会社では初めての事でした。
会長は普段は銀座の本社にいます。
月に2週間程、札幌支社に来ます。
この時代はバブルの絶世期で、私の勤務していた会社は次から次と札幌にビルを建てたり地方にスキー場やゴルフ場を作っていました。
事務所に上がると女性事務員さんの私に対する目付きが気になりましたが私は仕事をしに来ているのだ、お友達を作りに来てはいないと自分に言い聞かせて必死に働きました。
もう一人の秘書は男性でした。
会長の運転手も兼ねていました。
私より年下でしたが良く働く人でした。
彼は朝から夜遅くまで会長に引率していました。
会長に初めてご挨拶した時に
「秘書は会社では妻だから、お茶が飲みたいと思った時に出す様に」
とだけ言われました。
難しい指示です。
会長は自分から指示をする人ではありませんでした。
何をしてほしいか?
私が考えなくてはならない、そんな方でした。
この時に役に立ったのがヤクザの父を、お世話する若い衆の立ち振舞です。
私の父も口数が少なくて若い衆は先手を読み気を遣わなくてはなりませんでした。
その立ち振舞は私の生活の中では当たり前の事で私にも染み付いています。
私は秘書一日目から、じっと会長を観察しました。
右の引き出しを開けると印鑑を出します。
その時に、手を拭くおしぼりを出すんです。
左の引き出しを開けると、お薬を出します。
その時は常温のミネラルウォーターを出します。
この会社では何から何まで、こちらが気を効かせて会長から指示を受けるのでは駄目なんです。
ルールも覚えて会長が札幌にいる間は、銀行の頭取から大手ゼネコンの社長まで札幌の財界札幌に載る様な方が毎日、会社に訪れました。
ススキノのレジとは違い会長秘書の仕事は会長の陰でありながら、様々なお客様に対して表に立ち、お相手をする立場でもありました。
会長のスケジュールから何から何まで相手先は聞いて来ます。
ある時、本社の秘書から私に電話が来ました。
「〇〇さんは一度も会長に怒られた事が無いと聞いたけど秘訣は?」
と。
何でも東京の秘書は3人いますが怒られてばかりだと言うのです。
私が一度も叱られた事が無い話は誰から伝わったのかは今でも、わかりません。
私は父がヤクザだったから自然に出来るんです、とは言えません。
何て答えたのか、今は忘れました。
会長が札幌に居る時は、とにかく忙しいのですが、会長が本社に戻ると嘘の様に暇になります。
そこで、私は新しく建てているススキノのビルに、こんなお店があったら、如何ですか?
と企画書を書いてみようと思いワープロ(当時は)に向かいました。
暇で何もする事が無い事から始めた企画書作り。
これが又、私の運命を変える事になりました。
−話は続きます−