系列店でクラブのレジを習い、私は私の働くクラブに初出勤しました。


勤務時間は夜の7時からなので幼い息子と過ごす時間もありました。


レジは入り口を開けると右側にありました。

狭い空間でしたが私一人には十分でした。


営業時間が近づくと次から次にホステスさんがドアを開けて入って来ました。


そして個々のお財布を私に預けるのです。

まだ、そのお店のシステムを知らなくて教えられてもいませんでした。

様々な色や柄、ブランド品のお財布が次から次と私に差し出されました。


誰のお財布なのか?

全く、分からなくなりました。

ホステスさんは帰る時に当たり前の様に

「私のお財布」

と言います。


役20名くらいのホステスさんがいたと思いますが、私には、どれが誰のお財布なのか、わからなくなりました。


あるホステスさんには

「早くしてよ!」

と舌打ちをされたり

「早く覚えてよ!」

と強い口調で言われました。


1日では到底、覚えられません。


私は翌日の昼間、文具店に行き名札を買いホステスさんの名前を書いて預かるお財布に、そのホステスさんの名前を書いた名札をゴムで付けました。


しかし、ゴムで付けたのが悪いとナンバーワンのホステスMさんに叱られてしまいました。


それでも滅気ずに私流で通しました。

紛失や渡し間違いがあったら責任が取れないからです。


レジの仕事は単調で慣れると少し、休む時間も取れました。


途中、社長や常務から何組何名ですか?と毎日、電話が来ます。

何時に電話が来ても答えられるように私なりに集計表を作り即答出来る様にしていました。


クラブにホステスさん宛に電話が来ますが

「どちら様ですか?」

と聞いてはいけません。


これも一度お名前を聞いて凄く叱られて覚えました。


叱られて怒られて仕事を覚えました。

働かなければ息子を養えないから必死でした。


嫌な事は1日経ったら忘れよう、が私の考えでした。

引きずっても解決せず嫌な思いで働くより気持ちを切り替えて楽しく働きたかったのです。


中でもナンバーワンのMさんには嫌われていたのか、私が挨拶をしても無視されて相当いじめられました。


私より年下のMさんに叱られるのは私の小さなプライドが粉々になる時がありました。


何かある度に私を叱ります。

時にはロッカーに入れていたファンデーションが無いと叱るのです。

ロッカーには鍵がかかり、鍵は其々のホステスさんが持っています。

レジではスペアの鍵は預かっていません。


更にはMさんはラストに来た、お客様を閉店時間が過ぎてもお店に留まらせて売り上げを上げるので何時になっても帰る事が出来ませんでした。


そのお店の閉店時間は0時でした。


お店も売り上げがナンバーワンのMさんには逆らえない状況でした。


夜中の2時を過ぎると私はお腹が空いて隣のビルにある、うどん屋さん(五右衛門)から出前を取り一人で薄暗い非常階段の階段に座り食べる、そんな日もありました。

そんな日は悲しくなって泣きながら食べた時もありました。

その時の、うどんの味は今でも覚えています。


働かなくてはならない。

でも辞めたい、、

そんな気持ちが交差する日々。


そんな時に


社長から電話が来て

「明日、昼間に会社に来て下さい」

と言われました。


そして社長から考えてもいなかった配置転換のお話を頂いたのです。


−話は続きます−