私には足りない物があります。
それは、きっと我慢すると言う事と辛抱すると言う事です。
一人娘で育ったせいか、私は兄妹がいる人とは違い何かを分け合う環境では無くて何でも私、一人に与えられる環境でした。
親からの愛情も物質的な物も全て私一人の為に与えられました。
それは私には当たり前の生活でした。
だからなのか?
やはり他の人より我慢する事や辛抱する事が私には欠けているのだと思います。
彼と初めての夜を私は拒絶して翌朝、彼は何も無かった様に私より先に起きて部屋のテレビを観ていました。
結婚式までの短い期間に引っ越しをしたり、お式の打ち合わせをしたり、お式当日の疲れもあるのだと思ってくれていたのか。
彼は普通に私に接してくれました。
ホテルをチェックアウトしてから母の元に預けていた息子を迎えに行き、彼と私と息子の3人で新居に向かいました。
私は気が重くて、それから新しい生活が始まりました。
一昔前は、お見合いで結婚する事が当たり前の時代。
更には親が決めた人との結婚。
相手の事を知らずに嫁いだ女性達は本当に幸せだったのでしょうか。
そこには我慢や辛抱の感情があったのでは、と私は思います。
私が彼と一緒に暮らした生活を思い出せないのは、私が彼に対して悪い事をしたから、だから自分の記憶の中から消したかった私の勝手な気持ちなんです。
私から離婚を言い出せなくて弁護士から私の気持ちを伝える方法を選びました。
この時は私は息子を連れて母の元に戻っていました。
彼との生活の中で些細は事が益々、嫌になりました。
話し方、食べ方、観るテレビまで。
愛が無いと、そんな些細な事も嫌になるのかと思いました。
でも、一番、悪いのは私なんです。
一度も肌を合わせる事の無い結婚生活でした。
嫌な事が倍倍に増えていき
一緒に暮らすのが苦痛になりました。
弁護士が何回か話し合いをしてくれて
離婚が成立しました。
今になって思う事は私がプロポーズを断っていたら彼の人生を壊す事は無かったと言う事です。
息子の記憶に彼の存在が残っていたか、いなかったか。
息子から一度も話をされた事はありません。
彼に対しての私の贖罪は消えてはいません。
この2回目の離婚から私はススキノの世界で働く、きっかけになりました。
−話は続きます−