私がOLからススキノにお店を構えてススキノに生きる女星達の一人になった経緯を書こうと思います。


最初から私のブログを読んで下さる方はご承知の通り私は札幌で一番、厳しいカトリックの女子中高で6年間、過ごしました。


学校を選んだのはヤクザの父でした。

父はヤクザでしたが頭が良くて読書家で達筆。

下手な弁護士より弁が立ち堅気の方の困り事の相談を受けると、ほぼ100%の確率で問題を解決していました。


父には絶対の我が家のルール。

父が決めた事には誰も逆らえない家庭でした。


小学校6年生になり私の進路も決められました。


その後、両親が離婚。

私は東京の私大に行きたかったのですが金銭的な事を考えると母には言えず。

父に話せば必ず行かせてくれるのを知っていましたが愛人と暮らす父には頼りたく無くて断念しました。


でも母は専門学校に行かせてくれて私は、そこで秘書検定1級を取得できました。


それから大手生命保険会社に就職して結婚。

結婚しても出産しても仕事は辞めずに働ける環境の会社でした。


息子が一歳になる前に離婚になり彼が残した借金を払う為に昼はOL夜はススキノのクラブでホステスとして働き2年で完済しました。


そしてススキノのホステスを辞めてから昼のお仕事だけになり、やっと昼間だけ働き夜は自宅で息子と過ごす時間が持てる生活になりました。


ここまでは以前のブログに書いた通りです。


これから先、新たに私の人生が変わる事になりました。

この話は、私の人生の中でも触れたく無い話ですがブログを書く時に真実を書くと決めていたので皆様の、ご批判を覚悟で書く事にしました。



息子が3歳を過ぎた頃、お見合いの話がありました。

相手は同じ歳の方で会社経営者。


数回お食事をしました。


私の、周りの家族や知り合いは

「男の子には父親が必要だから」

と皆が私の再婚を望みました。


私は

「そうなのかなぁ」

と考えました。お相手の方に対して好きとか愛してる等のトキメク感情が湧かないまま、生活の安定と息子と一緒にいられて義理でも父親が出来る事を優先して結婚を承諾しました。


それが、そもそも間違いの始まりでした。


その方は本当に息子を可愛がってくれて、今でも感謝しています。


私は会社を退職して、盛大な結婚式を挙げて家庭に入りました。


住まいは北郷と言う場所で、今まで住んでいたススキノのネオンが輝く街並みとは、あまりにも違う私には寂しく感じる住宅街の一軒家でした。


この結婚は全て私が悪かったのです。

相手の方を傷つけてしまった事は、もう30年も過ぎているのに私の中では懺悔の気持ちは小さくなりません。


人間て自分に対して都合が良いのですね。

私は2回目の結婚生活の事を殆ど覚えていないのです。

覚えているのは毎朝、珈琲好きの彼に、挽きたての珈琲を落として大きな水筒に入れて彼に持たせた事ぐらいなんです。


食べ物も何を作ったのか、お洗濯していたのか、話した会話すら全く覚えていません。


数回お食事しただけで結婚を承諾した私が、いけなかったのです。


彼の事を何も知らずに、一番は息子の為を考えて嫁ぎました。


しかし、私は彼を愛せなくて。


彼は何も悪くは無いのです。

むしろ、初婚で子持ちの私にプロポーズしてくれたのですから有り難いお話でした。


結婚式も決まり日にちが経つほどに私の心は晴れませんでした。


良い人で経済力もありますが、私は私の晴れない気持ちのまま結婚する事に心が潰れそうになりました。


周りの人は

「一緒に暮らすと情が湧くから大丈夫よ」

と暗い顔をしている私に励ましの言葉をかけてくれました。


結婚式も無事に終わり式場のあるホテルの部屋で初めて夜を二人だけで過ごしました。


二人でベッドに横になりましたが

私は

彼を拒絶したんです。


−話は続きます−