私が、お勤めに行っていたクラブの面接の日には黒服の椿部長は、いませんでした。


私が初めて出勤した日に椿部長から

「美鈴ちゃんて言うんだね。宜しくお願いしますね」

と声を掛けて頂き名刺を貰いました。


小柄で瞳がくるんとして椿部長だけは黒服じゃなく洗練されたトラッドのスーツを着ていました。

ネクタイはレジメンタルです。

ピカピカに磨かれた革靴に目がいきました。


−ネット参照−


部長の仕事は主に、お客様の接待とホステスさんの引き抜き。

どんなに遅くまで、お店でアルコールを飲んでいても早朝のゴルフに誘われたら遅刻しないで行くススキノで働く男性のプロです。


店内では時には厳しい目をしながらホステスさんをお席に振分ける采配をし、酔い潰れたホステスさんには優しく介抱してタクシーに乗せて帰す。

ママのご機嫌が悪くならない様に、それは気を遣う。


お客様がお店に入られたら一番最初に出迎えて

「〇〇様、いらっしゃいませ」

と明るく大きな声でお迎えして、お席にご案内する。


それから引受けさんがいる場合は引受けさんに〇〇様がいらしたと伝えヘルプに最適なホステスさんを何人か選びお席に付ける。


もう一人の黒服の山本さんは黒いスーツに超ネクタイをしていました。お客様のキープボトルを数ある中から一目で探しテーブルの上に置く。

あれだけの数のキープボトルから瞬時にお客様のボトルを探すのも凄い技術だと感動したものです。

ボーイさんはミネラルウォーターや氷、グラスを用意して、お席に出す。


黒服の連携が上手く行かないと、お店は回らないのです。


ホステスさんが座って優雅な振舞で接客出来るのは、裏で

汗を流しながら働く黒服がいるからこそ、なんです。


部長は、私には良く上客のお席に付けてくれました。

大手の会社役員のお席や不動産関係、個人経営者のお席が多かったです。

その中には今では有名な家具屋やドラッグストアーを経営している若手の社長さんがいました。

(名前を書くと誰もが知っている企業です)


部長は毎日、私に出勤確認の電話をくれました。

いつしか部長が私の担当になっていました。

「困った事は無い?」

「嫌な事は無い?」

等、気遣ってくれました。

昼間、働いている事は勿論、知っていましたから、やはり残業になるお席には極力、私を付けない様にしてくれました。


明るく面倒見の良い人柄。

クラブ〇〇〇の椿と言えば当時の夜の街では有名人でした。


夜のススキノのビルの前や四つ角には黒服が立ち、他店の情報収集をしたり素敵なホステスさんに名刺を差し出しながら話しかけて自分の働いているお店で働きませんか?とアピールしていました。



私はママや部長に守られながら働く事が出来て有難く思っています。


部長の事では少し戸惑う事がありました。

良くミーティングと言う名目でお茶に誘われました。

特にお仕事の話をする訳では無くて遠回りに私に好意を抱いている様な話しでした。


店内恋愛は、ご法度です。

暗黙のルールです。


目を掛けて頂くのは有り難い事でしたが私は借金返済の為に働いていて幼い子供もいましたから、とても誰かと恋愛をする気持ちにはなれません。


むやみに断ると角が立つので、毎回、ミーティングと言う名のお茶飲みには嫌な顔を見せずに行き、部長の気持ちの話になりそうになったら、上手く交わしていました。


私が勤めていたクラブでは着物デーや、おニューデーと言って新しいお洋服を着て出勤しなければならない日がありました。


着物デーは母が作ってくれた着物を持っていたので何とかなりましたが

月曜日から金曜日まで毎日、新しいお洋服を着るには相応のお金がかかります。


どうしようと一人で悩んでいたら部長からお店の空いているお席に呼ばれました。


「美鈴ちゃん、新しいお洋服を揃えるのは大変でしょう?僕が何とかするから」

と。


それから数日後、部長は大きな紙袋を2つ抱えて待ち合わせの喫茶店に来ました。


「中を見てごらん。新品では無いけど知り合いのホステスさんから借りて来たから。返す時はクリーニングに出してね。特にお金のお礼もいらないからね」


私は、部長の優しさに涙が出る思いでした。

有り難い、本当に有り難いと。


まだススキノには人情がある時代でした。

困っていると私の口から言わずとも部長は考えてくれていました。


お借りした素敵なお洋服を身に纏い何とか、おニューデーを乗り越える事が出来ました。


ママ、スタッフ、ホステスさん皆さんから助けて頂けたから働き続ける事が出来ました。


水商売に不慣れでアルコールも飲めない私にもママから引受けにならない?との話がありました。

間違いなく入金して下さる方で信用出来る方。

その方が私を気に入り引受けにしたいとママに申し出たそうです。

引受けになると日給に売上が乗るので手取りが今より高くなります。


ただし万が一、引受けのお客様が未払いの場合は引受けが立て替えて、お店に支払わなければなりません。


ママが太鼓判を押す方は大きな病院の事務長さんでした。

(その病院は今でも規模が大きくなり存続しています)


私はママの好意に背けなくて初めて引受けを持つ事になりました。


部長の椿さんも大賛成してくれました。


今、書いていると当時を思い出し、お店の中に私がいる様な錯覚になっています。


椿さん、お元気なら多分70代半ばか後半です。

今でも、きっとお洒落でトラッドのブレザーを着てピカピカの革靴を履いていると思います。


椿さんの私に対しての気持ちには答えられませんでしたが、それでも私がお店を辞めるまで大切にしてくれました。


次はホステス麗子さんの事を綴ります。



−話は続きます−