−息子の1歳の誕生日 一升餅−

息子が産まれてから父は角が取れて丸くなって行きました。
私が幼い時の父とは別人でした。
まだ50歳を過ぎたばかりの若いおじいちゃん。
見た目は派手でしたが心は優しい、おじいちゃんに変わる姿に娘の私が驚きました。


息子の1歳の誕生日は一升餅を注文して風呂敷に包み息子に背負わせる儀式がありました。

一升餅の一升は一生を、かけています。
一生、健康でいます様に。
一生、食べ物に困りません様に。
との願いが込められています。

今は無いのでしょうか?


私は息子が可愛くてたまりませんでした。

父親がいない分、沢山の愛情を注いで育てると決めていました。

人見知りのしない息子は住んでいたマンション内の皆さんからも可愛がられ、良くお隣のご夫婦宅に連れられて行き遊んで頂きました。

私は昼夜、働いていましたから寝不足の毎日でしたが、お休みの日曜日は息子を連れて良く円山動物園に行きました。

両親が揃っている家族連れを見る度に、幼い我が子を肩車するお父さんの姿を目にする度に、それを息子にしてあげられないと悲しい気持になりました。

息子には肩車してくれる父親はいません。
いくら私が頑張っても父親にはなれないのです。

そんな私の気持ちとは裏腹に明るく人懐っこく育ちました。

父は時間のある時に息子に会いに来ました。
言葉に出す人ではなかったのですが父に懐く息子が可愛かったのだと思います。

息子が2歳の誕生日を迎えた頃
父から電話が来ました。

「〇〇パパだけど」
その声はハスキーで聞こえづらく歌手の森進一さんの様な声に似ていて、いつもの父の声ではありませんでした。
私は父がイタズラしていると思い
「パパ、ふざけないで」
と言いました。
父は
「実は癌になったんだ」
病名は喉頭癌でした。
通っている病院名も父から聞きました。

それでも私は信じられなくて父が通っている耳鼻咽喉科に出向き院長先生を訪ねました。

「〇〇の娘ですが、父は本当に喉頭癌なのでしょうか?」
院長先生は
「残念ですが、喉頭癌に間違いありません」
と私に答えました。

体の中の血が、ざぁーと音を立てて私の体の中を走りました。

暫く病院の玄関に立ちすくみ動けませんでした。

−話は続きます−