今日から2〜3日前に母が使っていた小引き出しを開けてみました。

母が亡くなってから、まだ片付けていない小さな引き出しです。

何故か、中の物を未だに捨てられずにいました。

そこで私が見つけたのが
家族3人だけの写真です。
家族写真の様に立派な写真では無くて海に行った時のスナップ写真でした。

私には記憶に残っていません。
ほら、前に書いた様に
父が裸になると入れ墨があらわになり周りの人達から白い目で見られた海水浴が大嫌いでしたから。
だから記憶に残していなかったのだと思います。

母は、この家族3人が写っている古い写真を大切に自分の小引き出しの奥にしまっていたのです。

笑顔の父の写真を初めて目にしました。
母はサングラスだから表情は、わかりません。
私は余り楽しそうには見えないです。

父は海水浴に家族で来た事が嬉しかったのでしょうか?


母は
10代で父に嫁ぎ
10代で子供を産み
夫は殺人罪で刑務所にいる中
他の同じ歳の女性が青春を謳歌している時に
義母の元で私を育てながら
夫の帰りを待つ

今の様に何かあれば実家に帰る、戻る時代では無かった時代

母は良く父の義母には大切にされたと話していたのを思い出します。


父が刑務所から戻るのを待ち
父に従い
父に尽くし
愛人が出来ても文句一つ言わず
父から離婚を切り出された時も従い
それが母の父を愛する姿だったのでしょうか。

別れた後も決して悪口を言わず

私は愛と裏腹に憎があると思うのですが
母から父に対しては決して憎を感じる事はありませんでした。

離婚の時
母は多分33歳くらいだと思います。
美人な母でしたから男性からモテたと思います。

でも生涯、再婚はしませんでした。

私を育てる為に働き育てくれました。

母は覚悟が出来ていた人だったのだと思います。
何が起きても、うろたえる事なく前向きに生きる。
本当にいつも明るい人でした。

私の見えない所では涙を流した事もあると思いますが
決して私には見せませんでした。

母は幸せだったのか?
亡くなってから良く考える様になりました。
母の幸せは何だったのだろうかと良く考えます。

私が曲がった道に進まなかったのは全て母の教えのお陰です。
グレる要素は沢山ありました。
でも何時も母が
「〇〇、そっちに行っては駄目よ」
と心の声で私を育ててくれたから私は曲がらずに生きて来れたのだと思います。


最後の入院の時、私が冷たくあしらった事には未だに悔いは残ります。

私に面倒を掛けず静かに眠る様に逝った母の最後の顔が笑顔だった事が何よりも救いでした。

親の子に対する最後の教えは
自分の死だと何かで読みました。
親が死んだ時、子はその死から何を学ぶか。
私は母の死から母の偉大さと私に対する愛情の深さを学びました。

到底、私には真似が出来ない事です。


ヤクザの女房になり
人の何杯も苦労した母。

私が何年かして母の元に行き母に会えたなら
私は母の子供で幸せだったと母に抱きついて真っ先に伝えたいと思っています。

母からも
「私は幸せだっわ」
と私は聞きたいのです。


−話は続きます−