息子の父親とはススキノの
ショーパブで出会いました。
隣の席でした。
ディスコ遊びに少し退屈していた私達は当時ススキノに出来た
ショーパブに通う様になりました。
ショーパブでは男性従業員がお化粧をして衣装を纏い音楽に合わせてコミカルに時にはセクシーに踊り客を喜ばせていました。
その日、私は仲良しに誘われてススキノで一番賑わっている店内に入りました。
従業員の演技の間に客が踊る時間がありショーを見て楽しみ踊って楽しむ、そんな空間でした。
たまたま、その日は東京から雑誌の取材が来ていて私達の姿はカメラに収められて後に写真と共に雑誌の記事になりました。
−私が夫になる人と初めて会った瞬間。髪が長いいのが私。後ろを見ながら話している先には夫になる人が−
写真と雑誌は送られて来ました。
トイレに行く時に同じエレベーターに乗り合わせて何となく聞かれるままに自宅の電話番号を教え、それから交際が始まりました。
夫の姉が癌と言う事もあり元気な内に弟の結婚式を見せたいと願う義父母の強い願いで私達は間も無く婚約しました。
父には結果だけを話しました。
特に反対はされず彼にデュポンの高級ライターを贈ってくれました。
昭和の時代、結納の儀式は当たり前の様に行われていました。
大安が一番よいのですが、それに準ずる日の午前中に結納の品を使者が届ける儀式です。
我が家にも相手方から使者が来ました。
「いつ久しくお受けください」
こちらは
「いつ久しく、お受けします」
そして、こちらから結納返しの目録を渡し儀式は終わります。
決まった挨拶の後に使者の方には縁起物の桜湯をお出ししました。
今の時代は、どうなのでしょうか?
私には、わかりませんが結納の儀式は省略されている様に思います。
実際に私の息子の時には行いませんでした。
結納の食事会は私のマンションで仕出し料理を取りお膳で頂きました。
義姉は病から元気になり是非、参加したいと一緒にお膳を囲みました。
その時は病気を忘れるくらいに元気な義姉でした。
終始、笑顔で嬉しそうにしていました。
義姉と共に食事をしたのは、これが最後になるとは、この時は考えもしませんでした。
−話は続きます−