確かに

後輩から戻って来なかったお金は大金でした。


寝ずに働いて貯めた大切な

お金でした。


額が額でしたから

私の将来の夢も一瞬にして消えました。


私の夢は母の故郷で老後を暮らしたいと思う事でした。


−建て替えられた岩見沢駅✨ネット参照−


場所は岩見沢市。

父が母を見初めた場所です。


その街は昔は栄えていましたが

私が再び良く行く様になった頃は駅前の商店街もシャッターが閉まり閑散としていました。


ところが、夜の街は何故か人が沢山、出ていました。

「どこから来るのかしら?」

と不思議になるくらいです。


小さなスナックから素敵なバー。内装がお洒落なお店。

失礼な言い方をすると

「田舎にこんなに素敵なお店があるなんて」

と驚きました。


若い女の子が働く店も繁盛していました。


私が毎週、通う内に沢山の友達が出来ました。


−銀座園✨ネット参照−


夜の街に出る前には紹介された

銀座園と言う名の焼肉屋さんで腹ごしらえをして。

(とても美味しい焼肉屋さん)

銀座園の跡取り息子さんとも仲良くなり

彼は岩見沢市の夜の街では名が通った青年でした。

ご自分でも女の子を使う立派なクラブを経営していました。


わざわざ札幌から車で高速を走らせて通う私を凄く歓迎してくれて沢山のお店に連れて行って沢山の人を紹介してくれました。


年下ですが面倒見の良い青年でした。


1年近く岩見沢市に通い

夜、働く女の子やママさんから

「ハンカチ一枚も札幌まで買いに行くの」

「お洒落なストッキングも売っていないの」

「ネイルサロンは岩見沢市には無いの」

「店で着るドレスも欲しいのが無いの」

岩見沢市の無い無い話しを沢山、聞きました。

「みんな大変な思いをしてるのね」

と働く女の子の気持になりました。


それで私が岩見沢市内で

もし商売をするならと真剣に考えてみました。


スナックやパブを開店するには私には岩見沢市には顧客がいない。

今、仲良くなったお店や働く人達とは競合はしたくない。


「するなら共存だわ!」


夜、働く女の子達や男の子達(メンパブで働く)が無い無いと言ってる物を揃えて上げたいと強く思う様になりました。


その話を焼肉屋の跡取り息子さんに相談しました。

彼は大賛成だと言ってくれました。


ただし条件は私がショップに必ず、いる事。

私がいないショップには誰も行かないよ、と。


ススキノなら何でも必要な物は必要な時に手に入ります。

電話一本で配達もしてくれます。

はたらくのに不自由はしません。


岩見沢市は地方都市でも

夜の店で働く人の数が当時は多く、その人達が欲しい物を、わざわざ札幌まで買いに来るなら

私が、そのショップを始めればみんなと共存出来ると考えました。


テーマは共存!


場所も目星を付けました。

通りに面して白い壁でガラス張りのショーウィンドウがあり広い店内でした。

前はブティックだったらしく

壁には鏡が貼られていて衣類を乗せる棚や着替える個室もありました。


内装には、さほどお金をかけなくても開店出来る造りでした。


ショップで働く人も札幌で見つけました。

彼女はススキノラフィラの雑貨屋さんで働いていたのでホステスさんが欲しがる可愛い小物やバック等を仕入れる事を得意としているセンス抜群の人でした。


−ドレス✨ネット参照−


衣装はドレスと着物をレンタル式で貸し出す。欲しい人にはディスカウントで販売する。

着物は私が着付けが出来るからクリアです。


知り合いの美容師さんが週3回なら通えると約束してくれました。

札幌で流行っている髪型をレンタルしたドレスや着物に合わせて結ってあげられます。

又、メーキャップも出来る人でした。


お客様に渡す、又は貰うバースデープレゼントになる品も揃えて。

アレもコレもと夢が膨らみ


最後に私が企画したのが

カレンダーでした。

12ヶ月の毎月のカレンダーにママや、お店が推すホステスさんやメンパブを営む青年、イケメンの従業員を

カラー写真でバーんと載せて、それを各店舗で販売して貰う。

札幌にはタウン誌があり撮影は当たり前ですが岩見沢市ではプロのカメラマンの撮影はありませんでした。


この企画は焼肉屋の跡取り息子さんが岩見沢市の夜の組合に話を繋いでくれて賛同を得ました。


表紙を飾るのは誰になるのか?

1月は誰にしようか?

もう行くたびにカレンダーの話で盛り上がりました。

話は本格的に進みプロのカメラマンも手配していました。


私はショップの開店を12月と決めていました。

12月は近隣農家で働く方は農作業はお休みの期間。

夜の街に通う顧客も増えます。

確か、自衛隊基地からも岩見沢市に通う方がいたと記憶していました。

忘年会やクリスマスパーティもあります。

繁華街は賑わう月になるのです。


最新デザインのドレスや着物も年末年始には間違いなく皆が借りに来ると予想出来ました。


私は夜働く女性達が喜ぶショップを開きたかったんです。

役に立ちたいと思いました。


店内の一角には珈琲サロンも作り会員になってくれた方には無料で何杯でもドリンクを飲んで頂き、お店に出勤する前の憩いの場になると良いわ、と思いました。


既に経営していた日本料理店は板前に権利を譲る約束をして

岩見沢市のショップの件は

全て一人で企画して

働く人の手配もして

ショップの仮契約の日も決まり


私の第二の人生がスタートする目前に


大切な資金全額が

全て消えてしまいました。


それは

秋が過ぎた10月のある日の事でした。



人生は先が見えません。

明日の事もわかりません。

何が起こるかは誰にもわからないのです。


私の経験は全て自分で決めた事の結果です。 

誰かは

「貴女は騙されたのよ」

と言うかもしれません。

又、誰かは

「そんな大金を貸すなんて、私には出来ないわ」

と言うかもしれません。

誰かは

「馬鹿じゃないの」

誰かは

「自業自得」

と言うかもしれません。



確かに大きなショックは受けました。

私の夢も流れて消えてしまいました。


でも私は

彼女を責めませんでした。

弁護士が入ったので直接彼女に会えないから話せなかったから何も言えませんでした。


ただ

責めても喚いても、

お金は戻らないのです。


決めたのは私です。

貸したのは私です。

信じたのも私です。


もし、この先、再会する事があるなら

一言でいいから

「ごめんなさい」

と言って欲しいのです。


人間にしか話せない言葉

それが


「ごめんなさい」


だと私は思います。


今でも元気でいるかしらと

後輩を思う日はあります。



−話は続きます−