昼間は真面目に一生懸命お勤めしていました。
残業も変わらずに、ありました。
当時、早めに会社に行き制服に着替えて会社のビルの前の通りを横切ると地下に喫茶店があり毎朝、通っていました。
会社の勤務は朝の9時から。
その前に8時50分から朝礼が始まります。
毎朝、会社の支社三訓を
当番が読み上げるのが決まりの朝礼でした。
「我々は〇〇の天使である〜」
「我々は社会に貢献するの〇〇である〜」
「我々は〇〇の〇〇である〜」
今は、忘れてしまいました。
その喫茶店に同期が朝から集まりモーニングセットを食べるのが慣例になっていました。
喫茶店に行く為に早めに家を出て同期と、お喋りをする。
気持ちを仕事モードに切り替える前の大切な時間。
束の間のオアシス。
同期で励まし合ったり、時には厳しい先輩の愚痴を聞き合ったり。
−当時の私と会社の職員。本社から社長が来社した時−
−秘書課時代の私−
−誰かの結婚式。真中の先輩には可愛がってもらいました−
そして喫茶店から戦いの場、職場に向かい息つく間もなく働く日々。
残業は当たり前でしたから
入社当時より慣れて苦にはなりませんでした。
当時はストレスと言う表現は無かったと思います。
過労死も無い時代でした。
今の様に
「ストレスが貯まるわ〜」
とは誰一人、言わなかった時代です。
組合がしっかり機能していたので職員は組合に守られていました。
春には春闘があり毎年、賃金も上がりました。
賃金が上がる=賞与も上がる
残業費も全額支給されましたが、労基で定められている月の残業時間が超えると翌月に持ち越せました。
残業代が私達の遊ぶ費用になりました。
この頃は父から連絡も無く平穏に時は流れました。
私は昼は仕事、夜はディスコに通う日々。
今、考えると
何の苦労も悩みも無く
同じ年頃の若者と同じ様に
毎日を楽しんでいました。
−話は続きます−