父の彼女が小さな女の子を連れて我が家に突然現れてから

約1ヶ月

母の説得の言葉に素直に従い

彼女は小さな女の子を連れて

入って来た我が家の玄関から出て行きました。


私は暫く小さな女の子の事が忘れられずにいました。


本当の妹だったら良かったのに

と真剣に考えていました。


一人っ子は何でも欲しい物は

私一人だけに充てがわれます。

分け合う事は必要ありません。


でも

寂しさや悲しみを分け合う事も出来ないのです。


感傷的な気持ちを少し引きずりながら

母と二人の日常が戻りました。


会社に行くと

当たり前の様に残業をして

仕事が終わると

当たり前の様にディスコで躍る。


悩みも無く毎日が楽しかった時代でした。


−あとらすのマッチです。懐かしいです✨ネット参照−


私達の、お馴染みの店は

アトラス

体育館の様に広い店内。

天井からミラーボールが下がり

キラキラ輝いていました。


まだレコードでDJが曲をかける少し前の時代は

どのディスコも生バンド演奏でした。


中には今で言うなら

「推し」

私にも好きなバンドマンがいました。

彼はソウルミュージックがとても上手なボーカルで

いつも白の上下のスーツに蝶ネクタイで歌っていました。


彼のステージが始まりスローな曲になると

私は見惚れて、うっとりしながら席で聞きながら座っていたり


ハードなソウルミュージックに切り替わると

あえてボーカルの彼の舞台の下まで走って行き

(広くて走らないと好きな場所で踊れなかったんです)

彼を見つめながら踊ったり

片思いしながら通っていました。


当時は何組かのバンドが時間で入れ替わりました。


ススキノの街中は次の出番の店に行くバンドマンが走っていました。


バンドが入れ替わる時は

必ず決まった曲だったと思います。


広い踊り場は一瞬、踊っていた若者達が席に戻りカランとしました。


そのカランとした空間で

バンドの入れ替わりの時に

私達は「マンボ」

を踊りました。

二人が向かい合い

ツーステップで前後に動くだけの簡単なダンスです。


広い踊り場を私達だけの空間になった様な錯覚の中で躍る

「マンボ」は凄く優雅に感じました。


ハメを外す時もありました。

そんな時は私達はバンドマンのいる舞台に上がり舞台の上で自由に踊っていました。

お酒も飲まずシラフです。

常連だったからか?店側から止められる事はありませんでした。

今、思い出すと恥ずかしい思い出話しです。



ある日

札幌に新しくディスコが出来ると大々的な宣伝がありました。


今は伝説の

「釈迦曼荼羅」

です。


勿論行きました。

開店初日に!


−話は続きます−