行きたかった東京の短大には行けない家庭の経済事情。

それは私が1番良く知っていました。


父に話せば行かせてくれたでしょう。


ただ両親が離婚していたので母の手前、私は父に頼るのはやめました。


それでも母は私を専門学校に行かせてくれました。

それだけで十分に有り難かったのです。


専門学校も卒業した母校と同じく女子だけの学校でした。


場所は札幌の中心から少しススキノ寄りのビルの中にありました。

住いのマンションから歩いて通えました。


制服から私服に変わり覚えたてのお化粧をして楽しく通っていました。


私が選んだのは秘書課です。

お勉強の他に茶道・華道も必須項目にありました。


母校から一人だけ同じ専門学校に進学した同級生がいました。


当時の和文タイプは両手で打つのでは無く下に並べられている文字から打つ文字を選びタイプするものでした。


タイプの時間は必ず先生がストップウォッチを持ち打ち上がる順番を競いました。

速さと正確さの勝負です。


配列された文字に目を落としながら先生の

「初め!」

の声が合図になりタイプを打つ作業が始まります。


誰もが真剣です。


私の母校の同級生は、とにかく早くて一番に

「出来ました」

と手を挙げます。


いつも隣に座っていた私も彼女の影響を受けて早く打てる様になりましたが手を挙げるのは早くても二番目。


お互いに額に汗をにじませて頬が赤くなっていたのを思い出します。


夏休みも近付いた頃

母から

「〇〇、先日の夜に来たお客様が一度〇〇に会社に来なさいと仰ってるの」

と。

私は母に言われるまま

決められた日時に会社に伺いました。

綺麗なお姉様に案内されて

立派な応接間に通されました。


幸い秘書課では応接間では

誰がどの位置に座るのが正しいかを学んでいたので私は迷う事無く私が座るべき場所に座り待っていました。

そこに深夜、我が家に訪問された紳士が現れました。

「良く来てくれたね」

と歓迎してくれました。


「実は君に我が社の入社試験を受けてみないかと話したかったんだよ」

と。


その時の私の夢は一日も早く社会人になって母に楽をさせたいのが目標でしたから


「宜しくお願いします」

迷う事なく答えは決まっていました。


名前を書けば誰でもが知っている日本で大手の生命保険会社です。

新入社員は春にしか入社出来ません。


それが専門学校の夏休み前に

入社試験のお話を頂いたのです。


私は、生命保険会社を後にして直に学校に戻り就職担当の先生に話しました。

担当の先生は

「我が校初の生命保険会社の入社試験ですよ」

と喜んでくれました。


それからわずか1週間後に入社試験を受ける事になりました。


一人で受けた試験当日は今でも鮮明に覚えています。


広い会議室に私一人。

配られた国語・算数・理解・社会と一般常識の問題。


時間は各1時間でした。

広い会議室に壁掛けの時計の針の音だけが聞こえます。


答案用紙を取りに来られた時、担当の男性職員さんに質問されました。


働くために食べますか?

食べるために働きますか?


私は、お腹が空いたら働けないと単純に考えて

「働くために食べます」

と答えましたが

担当の男性職員は

「違いますよ、食べるために働くのですよ。それが仕事なんです」

と優しく教えてくれました。


これは試験の問題では無く

何故、働くかの意味を若い世間知らずの私に教えて下さったのです。

試験を受けてから約47年が過ぎましたが今でも脳裏に残っている言葉です。



試験には無事、合格しました。

そして私が通っていた専門学校から私の他に3名の同級生の入社が決まり、その後も毎年、数名の学生が入社して来ました。


私は〇〇生命保険会社の扉を開けた通っていた専門学校の第一号になりました。


試験に受かった事を知った母は凄く喜んでくれました。

私は夏休み前に就職が決まった事で後期の授業料を支払わなくて済む事が母の負担を減らせる事だと。

これが1番の喜びでした。



−三光舎ホームページから−
創業大正7年の老舗です
−三光舎ホームページから−下に写っているのが秘伝の味噌。父とはいつも個室でした。


大手生命保険会社に入社が決まったのを知った父は父で喜び

お祝いは父の馴染みの

「三光舎」

高級すき焼き屋さんで贅沢な最上級の牛肉のすき焼きを、たらふく食べさせてくれました。


父は終始、笑顔で大手生命保険会社に合格した娘が誇らしかったのでしょう。

「〇〇良く頑張ったね」

と。

そして父は父の知り合いに誰彼構わず

「娘が〇〇生命保険会社に入社した」

と言ったのでしょう。


父の周りは皆、義理の世界で生きている人ばかりです。

父の手から私の知らない名前の方からの入社祝いのご祝儀袋は私のバックに入り切らない程、頂いた夜でした。



父から見ると内気で大人しく人見知りだった娘が

少しだけ人様に自慢出来る娘に変わって行く瞬間でした。


ヤクザの娘に産まれても私が道を踏み間違えずに生きて来られたのは

父を見て

「ヤクザなんて大嫌い」

と思った幼少期から父がヤクザだとイジメに遭って泣いた時

「今に見ていなさい」

と子供ながら強く胸に誓った思い


父が引いたレールに乗ってお嬢様学校を無事に卒業出来た事


厳しい父の躾


母を泣かせたくない


その全ての出来事や思いが実ったのだと思います。


生命保険会社には中々、入れない、偏差値が高くて試験も難しい事を知ったのは入社後でした。


私は世の中に、どんな会社があるのかさえ知らず調べてもいなかった時に会社の支社長さんから試験を受けないかと、お誘いを頂き、生命保険会社に入るにはハードルが、そんなに高いとは知らずに試験を受けました。


記述式の試験の成績が悪かったとしても合格出来たのは

父の躾の

三つ指付いて御挨拶

が決め手になったのかもしれません。


会社に入社して社会の大人の男性を沢山見るうちに

私は父に対しての感情が少しずつ変わって行きました。


それまで異性は殆どが同じ年の子供でしたから父と比べる相手が私の周りにはいませんでした。


初めて社会人になり大人の男性を身近に接する内に

私は嫌いで厳しかった父に対して「尊敬」する気持ちを持ち始めました。

ヤクザの父を尊敬する?とおかしく思われるかもしれませんが


後に父の娘に産まれて良かったと思うように私の心が変化して自分が実はファザコンだと気付く様になります。


−話は続きます−



☕ブレイクタイム☕


ラクマで購入したホームベーカリーです。先程、届きました。
幼い時から家事は一切させてもらえませんでしたから母を亡くして前期高齢者になり一人暮らしになってから、お恥ずかしいのですが、やっと様々なお料理が作れる様になりました。
作り始めるとお料理は私には没頭出来るので気分転換になります。
そこでパン作りを試したくて中古のホームベーカリーを買いました。(中古で十分幸せです)
焼き立てのパン🍞を食べるのが夢でした。
手作りも挑戦しましたがこねたりベンチタイムとかが面倒で作らなくなりました。
物価高騰で大好きな食パンも値上がりしました。
早速、作ってみます。出来上がりは乞うご期待!(笑)