今の時代とは違い

私が思春期の頃にはスマホも無い時代でした。


−ネット参照−


家にある1台の電話機は、大抵の家では居間に置かれていました。

稀に玄関にある家もありましたが北海道と言う寒冷地では居間に電話機があるお宅が多かったと記憶しています。


お友達からの電話も部屋にいる親に、丸聞こえが当たり前ですなら秘密の話は出来ない時代でした。


ネットも、ありません。


今の様に出会系のアプリがあったら

もしかしたら私も、そのアプリを使い異性に出会っていたかもしれません。


私が知る限り

当時のおマセな女学生は同じ年頃の男子学生と

札幌に沢山あった喫茶店で

お茶しながらお喋りしたり

札幌の中心にある大通り公園でグループでお喋りしたり

中島公園の池に浮かぶボートに乗ったり

デートと言っても、せいぜい、それ位の事でした。


今、考えると健全な遊びでの様に思えます。


今のパパ活とか、ネットで知り合った異性に、お金を貰い肉体関係を持つ

そんな考えも知らない時代でした。


それでも男性を知っている同級生はいました。

もちろん肉体関係です。


それは、ほとんどが自宅の自室で関係を持った時代でした。


ラブホテルは沢山ありましたが

金銭的な事も理由の一つだと思いますが私の知る限りでは

(お友達から聞いた話)

親が留守の時に

自室で迎える初体験が多かったと思います。


自分の肉体を提供して、お金に変えるのは

私の学生時代から私が大人になり何年か後に社会現象になりました。

ニュースになる度に何故か悲しい気持になったのを覚えています。

私から見ると、そんなに簡単にお金の為に体を差し出せるのか、それも10代の素人の子がと。



私は札幌一校則の厳しい学校に通っていたからか?

恐喝して相手から金銭を巻き上げた事もした事はありません。

巻き上げなくても、その歳に足りるお小遣いは貰っていました。


私が高校に上がった頃

制服のスカートの丈が、やたらと長いのが流行りました。

我が母校では床上37センチと決まっていましたが

オーダーでスカートを留めるボタンの位置を床上37センチの位置と、もう一つボタンを止める位置を付けて貰い地面ギリギリ触れるか触れないかの長さに調節出来る様に仕立てて貰うのが流行りで私も母に頼んで仕立てもらいました。

(ボタンの位置が変わるカラクリは秘密でした)


朝、学校に入る時は床上37センチ。

夕方、学校を出る時は地面スレスレの長さに変えて急いで校門を出て街に向かいました。


街に出ても、ただ並んで地下街を歩く、それだけです。


何時からか

テレビのニュースで未成年の女の子達が補導される様子が良く流れる様になりました。


私達は、一ヶ月に使うお小遣いは足りていました。

それはブランド品も街に溢れる前で興味も持たなかったからかもしれません。

高額な品を欲しがる事もありませんでした。


お化粧は、せいぜいリップクリームです。

中でも透明に少し色が付くリップが流行り出した頃です。

目元は、まつ毛をカールする位です。


女学生がフルでお化粧をする時代ではありませんでした。


夜遊びもマンションがススキノの、すぐ側でしたから何時でもススキノに行ける環境でした。ただ私にススキノに行く勇気が無かっのとススキノに興味を持たなかったのだと思います。

学校の往復はススキノのメイン通りをセーラー服で歩き地下鉄で通うのが日課でした。


帰宅すると仕事に向かう母を見送り一人で部屋で過ごす。

部屋に一人でいる事は一人っ子だからか幼い時から苦になりません。

一人遊びには慣れています。


前期高齢者になった今も、それは変わりません。



少しでも先生に目を付けられると強制退学になります。


えっ!そんな事で?

と思う位の理由でも強制退学になります。


その時代にネットがあり

スマホがあったとしても


私は前にも書いた通り

「ヤクザの娘だから、そうなるのは当たり前よね」

とは決して言われたくないと思う強い意志がありました。


それと同じ位、母を困らせたくない。

母を泣かせたくない。


その気持ちが当時の悪いと言われていた様々な誘惑から自分を守っていたと思います。


仲良しだったMは中学卒業後

高校には進学出来ず

(母校はエスカレーター式です)


その後、年を偽りススキノの

こーあいにゃん(漢字名は忘れました)と言う名の男性にお酒を提供するお店でホステスとして働いていました。

たまたまススキノを歩いていた私に

「〇〇!」

と声が。振り向くと、そこにはチャイナドレスを着たMが立っていました。

2年ぶりに会ったMは前にも増してお姉さんに見えました。

「M、どうしてるの?」

「年を偽って働いてるの〜」

と悪気も無く相変わらず明るくて朗らかなM。


私はMに会えた事が凄く嬉しくて、たまりませんでした。

ウエストの下から長くスリットの入ったチャイナドレスのスリットの間からMの美しい足が見えました。


少しだけ年齢より先を歩いたM

その後Mは消防士さんと19歳で結婚して子供を産みました。

今は、孫に囲まれて幸せに暮らしています。


どの道に進んでも最後に決めるのは私、あなた自身です。


後悔しても、それは自分で決めた結果です。

でも、後悔して学ぶ事もあります。

そして又、違う道に進む事は誰にも出来る事です。


楽だから、このままで良いと悪の道に居るか

苦難があっても頑張って乗り越えて善の道に進むか


私はヤクザの父を持ち

知らなくても良い事を知り

経験して生きて来ました。


私が後にススキノで店を経営する様になった時(後に別な表題で書きます)


父がヤクザで助かった事が多々ありました。


グレる

家庭環境も理由にあるでしょう

友達関係も理由にあるでしょう

理由は、どうあれ

その道を選ぶのは自分です


ただ、その時は良しと思った事が生きて行く上で

間違いだと気付く事もあります。

後悔する時が必ず来ます。


誰でも人生を、やり直せるのです。

一日で360度、変わる事は出来なくても

一日に1度、変われるなら

1年で360度、変わる事が出来ます。


−話は続きます−