−成人式の記念写真−

札幌では満19歳になると成人式に参加できました。

成人式の当日、朝6時から美容室に行き、同じく成人式に参加する同じ年の娘達が自分の番を待っていました。

綺麗に髪を結ってもらい、真新しい振り袖に手を通して着付けをしてもらいました。

式典の開始時間は10時でした。

6時に美容室に入り支度が終わったのは9時を過ぎていました。

急いでタクシーに乗り会場に向かいました。
待ち合わせしていた友達は既に会場に着いていて私を待っていました。

少しだけ遅刻して式典に参加。

きっとヤクザの娘は私だけだわと思ったり、嫌、これだけの人が集まっているのだから私以外にも一人くらいいるかも知れない。
祝辞の間、そんな事を考えていました。

帰りは街にある喫茶店に行き、慣れない着物で疲れたのでアイスコーヒーを飲んで一息つきました。

振り袖を来て白い羽のショールをまとっている私達は誰から見ても新成人だとわかりました。

喫茶店を出た私は友達と別れて父のマンションにむかいました。

母が振り袖姿を見せに行きなさいと父にも電話で行く事を伝えてあったので内心はしぶしぶの気持ちで行きました。

その頃から少しずつ私は私の考えを父に話せる様になっていました。
基本は無口ですが、父と会話のキャッチボールが少しだけ出来る様になりました。

あの人は(愛人)は留守でした。
あの人がいないだけで私の気持ちは軽くなりました。

父は
成人式を向かえ振袖着た私を見て、目を細めて喜んでいました。


覚醒剤事件から初めて父に会ったのが、この日です。

覚醒剤事件の事はお互いに触れませんでした。

あの人が用意したと思われるケーキと珈琲を父が出してくれて
辛党の父は、その日は私と一緒にケーキを食べていました。

幼い時に私を叩いて躾した父とは別人の穏やかな父が目の前にいました。


父からは会津屋小高一家を辞めたと説明され
当時、札幌に進出していた山口組に参入したと聞かされましたが私には無関係な話しでした。

山口組に参入出来たのは、若い時に兄弟分の盃を交わした後の山口組誠友会二代目会長になった田村武氏の計らいがあったからの様です。

ヤクザ世界の話を話す父でしたが私には右の耳から左の耳に聞き流していました。

それより又、何か事件を起こしたらと考える不安な気持ちの方が大きくて、今、父が何処に属してもヤクザに変わりは無いのですから。

一通り父の話が終わると
立派な水引に父の筆字で書かれた「お祝い」ののし袋を貰い
足早に父のマンションを後にしました。

その帰り道、私は、ある事を決意していました。

父の氏から母の氏に変える事です。

又、覚醒剤の時の様な事件が起きたら嫌だからです。
他の事件が起きても嫌だからです。

母に私の気持ちを伝えました。
母は直に賛成してくれました。

母から父に娘の氏変更の話をしてもらいました。
案の定、父は反対しました。

しかし母の説得により
(覚醒剤でニュースになった事を取り上げて)
父は、しぶしぶ首を縦に振ってくれました。

共に生活をしていなくても自分の戸籍には娘がいる。
それが父にとっては娘との、たった一つの結び付きだったのかもしれません。

そんな父の気持ちは当時の私には、わからず一日も早く氏変更をしたい気持ちが勝っていました。

一人で家庭裁判所に行き氏変更の手続きをしました。
2回ほど通い戸籍の氏変更は終わりました。
新しい戸籍謄本を手にした時、凄く嬉しかったのを覚えています。

専門学校に通っていた夏の事です。

一緒に暮らしていない父の氏を名乗るより
一緒に暮らしている母の氏を名乗る方が生活がスムーズになりました。

電話、一つでも違うのです。
それまでは電話が鳴ると
「はい」
としか言えませんでしたが
それからは
「〇〇でございます」
と名乗れるのですから。

父の気持ちは知りたくも、ありませんでしたが
私は、やっとヤクザの父と違う氏に変われて晴れやかな気持ちでした。

−話は続きます−