−高校2年生の私・学校の炊事遠足での1枚−

父と離婚後、数年経ち母は働きに出るようになりました。

それは私に少しでも良い生活をさせたい、との思いからです。
確か、父からは学費分のお金は貰っていたと思われますが、それだけでは親子二人の生活は出来ません。
蓄えていたお金も働かなくては減る一方です。

母は昼は保険会社でセールスとして、夜はススキノのクラブでホステスとして働き私を養ってくれました。
父と同じ様に何不自由無い暮らしをさせてくれました。

母のお陰で私は世間から言われていた、お嬢様学校に通い続ける事が出来ました。

ただ母が働きに行った夜を一人で過ごすのは、とても寂しい事でした。

仲良しのMは学校を強制退学したので、Mに連れて行ってもらったススキノの踊り場「マックス」にも行かなくなり母のいない部屋で一人過ごす私でした。

学校では沢山の友達に囲まれて楽しい学生生活を送れましたが、学校から帰宅すると、私とすれ違う様に働きに出る母の後ろ姿。
その後姿を見て、私が働く様になったら私が母の面倒をみて、お金の苦労はさせないと心の中で誓った17歳の私でした。

その頃、父と離婚して住んだピアノ教室の二階の借家からススキノに近い新築のマンションに引っ越していました。

まだ札幌では2階建ての木造アパートが主流の時代に、鉄筋で出来た10階建てのマンションは立派でお洒落な外観でした。
そのマンションに住むと決めた母は札幌でも一流家具を扱う家具屋さんで家財道具一式を新しいのに変えました。
私の部屋の家具は当時、流行りだった白い家具で統一してくれました。

住いのマンションから電車通りを渡るとネオンが輝くススキノでした。

朝は私の通学路、夜は母の通勤路。


−ボーイフレンドとお正月の記念写真−

高校2年生になり私に初めてボーイフレンドが出来ました。
彼は札幌でも勉強では、一二を争う公立高校に通っていました。
北大はもちろん、東大にも毎年沢山の合格者を輩出していた有名校です。

出会いは北24条の喫茶店でした。
校則違反をして、おマセだった私達は、こっそり学校帰りに喫茶店に寄り仲間とお喋りしていました。
(当時の札幌には数え切れない程、沢山の喫茶店がありました)

その喫茶店で、いつもの様に私達がお喋りしていた時、数人の男子学生が入って来て私の同級生の一人が彼を知っていて紹介されたのが始まりです。

彼は頭が良くてお父様は誰もが知る東京資本の大手建設会社の役員でした。
彼のお姉様は母校の1年、先輩。
彼の二人の伯母様も私の母校の先輩でした。

私は片親でしたし父がヤクザです。
彼とは到底、家の格式は違います。
それでも私達の交際に反対はされませんでした。
それは、在席していた学校のお陰だったのだと思います。

お正月に晴れ着を着た私は背広の正装姿の彼を連れて父が住むマンションに新年の挨拶がてら彼を紹介する為に向かいました。

高校2年生。
初めて父に異性を紹介しました。

父の住むマンションに、あの人(愛人)は不在でした。

娘が連れて来たボーイフレンドを父は大歓迎してくれました。
父は彼の通っていた学校を気に入り、お父様の社会的立場を気に入り。

ヤクザの父に対して、どんな質問をされても臆さずハキハキと返答する彼を気に入り。
将来は法学部に進みたいです、との彼の言葉に目を細めて頷いていた父でした。

私は相変わらず無口な娘でしたが父が、あんなに喜ぶのは想定外でした。

普段、台所に立つ事は絶対にしない父が、この時は
自らサイコロステーキを焼いて
私達をもてなしてくれました。

食事を終えて、帰り支度をしていた時、奥の部屋から父が愛用しているアスコットタイを持って来て私のボーイフレンドにプレゼントしてくれました。

私達がいる間、終始、穏やかで、にこやかな父。
年頃の娘がボーイフレンドを紹介されるのは、他のお父さん達と同じ様に私の父も嬉しかったのだと思います。

私は彼には父がヤクザだと知らせていました。
その事実を知っても彼は嫌がる事も無く普段通りに私を大切にしてくれました。

父はお正月だからか、私達が挨拶に来るからなのか、立派な大島の着物姿で私達を迎えてくれました。

しかし、着物の袖口からは入れ墨がチラッと見えていました。

話しておいて良かったと思った瞬間でした。

父は玄関の前のエレベーターホールまで私達を見送ってくれました。
父親として最高のもてなしをしてくれました。

父はヤクザでしたが、私を厳しく躾る位、マナーや礼儀作法は自らもスマートに、こなす人でした。

帰り道、彼は一言
「立派なお父さんだね」
と言ってくれた言葉に緊張していた私の心が軽くなりました。


−少し大人びた高校3年生の私です。お洒落が大好きでした−

当時の彼とのやり取りは電話でした。今の様にメールの無い時代は居間にある一つの家電でしか話せませんでした。家族が側にいると話は丸聞こえの時代です。
父に紹介して間もない時です。
いつもの様にボーイフレンドから電話が有りました。

何故か、話し方がいつもと違うのです。
「ニュース見た?」
と彼
「見てないわ」
と私
「実はお父さんが逮捕されたって、さっきニュースで流れていたんだ」
と彼
「えっ」
と私
「驚かしてごめんね。〇〇の氏が珍しいから、お父さんだと思う」

私と暮らした10年の間、一度も犯罪には手を染めず、警察沙汰にはなった事はありませんでした。
両親が離婚しても、それは変わらなかったのに一体、何が起きのか。
頭が真っ白になり彼との電話を一度切りました。
母は働きに行っていない時間でした。
彼は彼で居間の家族がいる場所からの電話ですから、あまり詳しく話せない様子でした。

私は嫌でしたが、あの人(愛人)に電話をしました。

「〇〇ですけど。パパに何があったのですか?」
「〇〇さん。大丈夫ですから。素晴らしい弁護士も付けてありますから、直に出られるはずです」

いや、私が知りたいのは何で父が逮捕されたのか?なのに肝心な事は話さない、あの人です。

話していて、段々と腹が立ち
「だから何でパパが逮捕されたの?!」
口調も強くなりました。
その時に、その人から
「覚醒剤」
と小さな声で返事がありました。
「覚醒剤」と聞いた瞬間、私は受話器を持つ手の力が抜けて居間の床に座り込みました。

−話は続きます−

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