10年に1度の大寒波で各地では交通障害が多発してると報道で知りました。


私の住む札幌も一昨日は凄く風が強く窓がガタガタと大きな音を立てて。


昨日は雪は、さほど降りませんでしたが、やはり風が強く吹き溜まりの雪が舞い上がり

時には前が見えなくなる悪天候でした。


今日は朝は青空でしたが夜になると気温がぐんと下がりストーブを付けていても部屋の中は中々、暖かくなりません。


北国で産まれ育ち

雪にも寒さにも慣れているはずなのに

私は冬が大嫌いです

出来る事なら温暖な土地に引っ越したいのですが

一人娘の宿命と言うか

墓守は私しかいませんから

札幌から離れる事は出来ません。


墓守と言えば思い出すのは

父の墓を探した時の事です。


父が無くなり葬儀は父の愛人だった人が出してくれました。

前にも書きましたが

それには感謝しています。


しかし父の納骨の連絡が私には来ませんでした。

父の遺骨が何処の墓苑に埋葬されたのか

私には知らされませんでした。


私は、その人が大嫌いでした。今でも嫌いです。

母を泣かせた女。好きになれるはずはありません。

多分、その人も私の事が嫌いだったと思います。

確か私と12歳しか年が違わなかったはずです。


これが

正真正銘の以心伝心です。


お墓参りに行きたくても行けず数年が経ちました。


私は札幌中の墓苑に電話をして「〇〇のお墓はありますか?」

と片っ端から聞きました。


何件か電話をかけると

「こちらの墓苑にあります」

父の遺骨の埋葬場所がわかりました。


直に聞いた墓苑に車を走らせました。

札幌市内の墓苑にありました。

電話で聞いて書き留めたメモ通りの区域と番号に、父のお墓がありました。


父のお墓を見つけた私は号泣していました。

それは父の氏の墓では無くて、あの人の氏の墓だと知ったからです。

〇〇家の墓と

大嫌いな、あの人の氏で彫られていました。


母も付いて来てくれて号泣している私の背中を、そっと撫でてくれました。


私は

「遺骨を持って帰る」

と思い立ち

遺骨を納める時に開閉する箇所を探して重い墓石の一部をずらしました。


女の力では中々、動きません。


諦めずに力を入れて動かしました。


やっと開きました。


私は父は骨壷に入っていると勝手に思っていましたから骨壷ごと取り出して我が家の墓に入れたいと考えていました。

(これは違法行為です)


しかし、私の考えは一瞬にして間違いだと気付きました。


遺骨が入っている箇所を覗くと

遺骨は骨壷には入っていなくて

バラバラに入っていました。


あの人の亡くなった家族の遺骨と私の父の遺骨は混ざり合うように重なっていました。


どの遺骨が父なのか

わからないのです。


それを見た時

「死んでも父は私の元には帰らない、返してくれない」

のだと

あの人に対して腹が立ち


私の大きな泣き声が静まり返った墓苑に響きました。


−話は続きます−