ヤクザの娘に産まれた私は中学受験も無事に合格して
札幌一、お嬢様と呼ばれる子女が通う学校に行く事になりました。
それは父が引いたレールです。
一人娘を世間の誰からも
お嬢様と呼ばせたかったのか?
ヤクザの娘だからと世間に馬鹿にされたくなかったのか?
合格した学校は厳しい規則で、がんじがらめでした。
しかし私は居心地が悪いと感じた事はありませんでした。
何故なら小さな頃から父の厳しい躾や決まり事に素直に従って生きて来たから、すでに免疫が出来ていたのでしょう。
髪の毛は耳下2センチまで伸びると結ぶ。
制服の丈は床上37センチの決まり。
全校朝礼の日は賛美歌を歌い校長先生からのお話が終わると一年生から順に体育館を後にしますが体育館の出入り口には物差しを持った体育の女の先生が立ち目を光らせて学生一人、一人の制服の丈を測るのが恒例でした。
今なら笑う光景ですが、当時は緊張する場面でした。
制服は吊るしの物では無く指定店でオーダーで仕立てました。
夏は白いソックスでは無く黒いソックスです。
学生カバンに入らない物は学校のマークが入っている風呂敷に包みました。
紙袋は禁止でした。
外靴も中靴も規定の物です。
私が通っていた時代には我が母校は「カラスの学校」と呼ばれる事もありました。
上から下まで黒だったからです。
中学からセーラー服でした。
制服の左腕の場所に学校の刺繍されたマークが縫われていました。
マークの両脇の羽は平和を意味する鳩の羽。
真ん中に三本線が刺繍されていました。
三本線には意味があります。
その意味は
○謙遜
○忠実
○潔白
学校の基本の考え方です。
私はお嬢様が通う学校に馴染めるのか。
通う前は、そんな不安な気持ちでしたが
育ちの良いお嬢様達は一応に明るく天真爛漫、更には人が、どんな生活をしているのか等、全く気にする人は居なくて
気立ての良い少女達に囲まれた私の学生時代は友達にも恵まれ学校にいる時間だけはヤクザの父がいるのを忘れるくらい楽しい青春時代でした。
全生徒1500名の中にヤクザの娘は私一人だけだったと思います。
合格から2年後、私の生活は一変します。
−話は続きます−