世間に「ヤクザの娘」と言われない様に私には礼儀作法や所作、言葉遣いを厳しく躾け、又、お勉強が出来る環境を作り塾にも通わせてくれたヤクザの父のお陰で小学校5年生から6年生の前半になると、私は成績優秀で通っていた小学校でも賢い子達の分類に入っていました。


そんなある日、父から

「〇〇はF学園を受験しなさい」

と言われました。

F学園は中高一貫で校則が東北以北、厳しいと言われた名門校。

北海道中や東北からも、お金持ちのお嬢様が通うキリスト系の学校です。


我が家では父の意見は絶対ですから

「嫌です」

なんて絶対に言えないのです。

父の意見に反するのは絶対に禁止です。


多分、小学6年の一学期が終わる頃には既に私の進路は父に決められていたと思います。


当時の担任の男の先生は

我が家がヤクザの家庭だと知っていましたが他の人と比べる事も無く皆と同じ様に私を扱ってくれました。

私は大好きな担任でした。


当時のF学園には、相当、頭が良くなければ試験に合格は出来ませんでした。


今、思い出すと担任の先生が週に3日程、学校が終わってから我が家に来て私の勉強をみてくれていました。

父が先生にお願いしたのだと思いますが二人共亡き今、真相は謎です。


私は真面目にお勉強をして無事に試験が終わりました。


試験の合格発表は当時は今の様に守秘義務も無い時代でしたから

北海道新聞と言う地元紙に名前が載る時代でした。


父はヤクザでしたが堅気の人と親睦があり顔も広く様々な会社のトップの人と関係を深めていましたし信頼もされていました。


北海道新聞社の中にも知り合いがいたのか?

合格発表の前日に父は既に私の合否を知っていたそうです。


それは私には秘密の事でした。


又、ラジオで合格者の発表もあり、当日、父は電波の悪いラジオに耳を押し付けて私の合否を聴いていたと後から母に聞きました。


合格発表の朝。

朝刊が届きました。

ドキドキしながら合格発表の欄を見ていた私。

そこには小さな活字で

私の名前が印刷されていました。

父に褒められたくて、お勉強していた私。

その成果が出た瞬間。

父は前日から知っていながら秘密にしていましたが私の合格発表が載っていた新聞を嬉しそうに見て喜んでくれました。

名前が載っていた新聞の箇所を切り取り大切に保管していました。

母も心から喜んでくれました。


合格を知った親族を始め父の堅気関係の方、ヤクザ関係の人達から沢山のお祝いを頂きました。


中高一貫の6年間は楽しくもあり規則が余りにも厳しすぎて地獄だと思う日もありました。

(父に厳しく躾けられた私にはさほど厳しくは感じませんでした)


1クラス50名が5クラスありました。

中学1年生を1年生と呼び高校3年生を6年生と呼ぶ決まり。

1学年250名、全体で1500人の女学生だけの学園生活が始まりました。


しかし、入学した時の250名は、みるみる数が減っていきました。


私が父に勧められて入学した学校の良さや世間からのみられ方を知ったのは通学中では無くて卒業してからです。


−話は続きます−