両親は私がヤクザの娘として周りから見下されない様にと様々に努力してくれました。
特に母の努力は偉大だったと今だから、わかります。

父は学校の成績が良ければ機嫌も良くて。

懐かなかった娘は次第に自慢の娘になっていきました。

小学校5年生の私(左)
鼓笛隊の中太鼓を担当。
運動会の日の朝。
父は珍しく前日の夜から自宅にいました。
そして早起きして私の写真を沢山、写してくれました。
もちろん沢山の子分が父の側にいて一緒に私の姿を喜んで見ていたそうです。

小学校6年の私。
当時は憧れのバトンガールに選ばれて運動会も参加しましたが、この写真は札幌の大通り公園のパレードに参加した時の一枚です。

鼓笛隊もバトンガールも選ばれた時、父は凄く喜んでくれました。
もちろん母も喜んでくれました。

周りからも
「良いお嬢さんですね」
と言われて鼻が高かったと後に母が話してくれました。

ヤクザの娘だからとグレる事も無く、私は、ただ父に褒められたくて一生懸命お勉強をして様々な事にチャレンジした小学校時代です。

成績が上がり様々な行事に参加する様になり幼い子供から少しずつ大人の娘に変わる頃、
父の私への態度や扱いが変わり始めました。

幼い時は叩かれましたが、手を上げる事は一切無くなり、私を一人の人間として父なりに尊重してくれる様になりました。

そして
私が初めて初潮(生理)を迎えた日。
夜の食卓には母が炊いたお赤飯が並べられ、私の向かいに座った父はいつもの父とは別人で少し照れる様子で
「身体は大人になっても心は未だ子供だから〜なんちゃらかんちゃら」と
と言いづらそうに話していました。

私は、また子供でしたから父に言われた言葉の意味が理解出来ず、少し恥ずかしい気持で、うつ向いて話を聞いていました。

父の話や様子を、ただ微笑んで見ていた母の眼差しは喜んでいた様に見えました。

今の時代は、どうなのか?私は知りませんが(子供が息子なので)当時は、生理が来る事は、おめでたい事で、お赤飯で祝ってくれました。

この日だけは
私の父はヤクザの父では無く
普通のお父さんに見えました。

−話は続きます−