札幌は二日間、降り続いた雪が、やっと止み少し青空が見えています。

雪国、産まれですが私は雪が嫌いです。


父や母は私に危ない事(怪我をする事)をさせないで育てたので小さい頃からスキーに行った記憶がありません。

小学校の授業にあるスキー学習は、いつも欠席でした。

勿論、家族でスキーに行く事はありませんでした。


ただ

私が11歳の誕生日に叔父達からプレゼントしてもらった

赤のフィギュアスケートを手に入れてからは、当時ススキノにあった室内スケートリンクに行く事は許してくれました。


ピカピカの赤いスケート靴が自慢でした。


お友達と市電に乗りスケートリンクに行く時の私はワクワクした気持ちで一杯でした。


でも必ず引率者はいます。

子供だけでは行かせてもらえません。

引率者は父の子分の一人です。

出来るだけ地味な服に見を包み必ず私と少し離れて付いて来ました。

父か母が子分に目立たない様にと言ってくれたのだと思います。


その頃、私はヤクザの娘だと誰もが知っていましたが、イジメられる事は無くなりました。


運動は苦手な私でしたが贈ってもらった赤いスケート靴が嬉しくて室内スケートリンクに何回か通う内に転ばずに滑る事が出来るようになりました。

冬の、たった一つの楽しみでした。


私の冬のスポーツの思い出は赤いスケート靴です。



ブログを書き始めて今日で16日目になりました。

思い出したく無かった過去の事もありましたが読んで下さる方がいる、イイネ、フォロー、コメントが少しづつ増えて

有り難く、又、嬉しく思っています。

私が書いている事は全て私が見て聞いて覚えている本当の事です。


今のところはアンチなコメントはありません。


昔はイジメられても、かばってくれる人がいました。

見て見ぬふりをしないで、

「ヤメロよ!」

「やめなさい!」

と言ってくれる友がいました。

(ガキ大将と呼ばれていました)


今はイジメられると自ら死を選ぶ。

授かった大切な命を断つ。

どんなに辛かったかと本当に胸が痛くなります。


イジメる側には同級生や他校の学生は勿論、教師までいます。


私達が育った環境と何が違うと、そんな人が教師になるのか?

理解できません。


小さな我が子を置きっ放しで出歩き、まだ乳飲み子の子供が餓死して亡くなる。

我が子に躾と言う名目で痛めつけて死に追いやる。

何故、子供を産んだのか?


更にはストーカー被害で嫌がらせを受けた挙げ句に殺害される(二日前の事件)

痛ましい事件が日々、起きています。


昔には無かった言葉。

虐待、DV、ストーカー

私の父はヤクザでしたが、今の世の中の様な陰湿な事はありませんでした。


白か黒か。

グレーは無いのがヤクザの世界。


時代は変わっても人の命の重さに変わりは無いのです。


朝から、そう思う日です。


「ニセコ」と書いてあったじゃがいもを買ってあったので煮物を作りました。
炊きあがったので今は味を染み込ませています。


一人暮らしは好きな物を好きな時に食べられる利点はありますが

「美味しいね」

と言う相手がいない寂しい気持に時々なります。


−話は続きます−