私の父は当時では背が高く色白でした。男性としては珍しく透き通る様な美しい肌でした。

母は目が大きくて美人さんでした。

母は父からの猛烈なアピールと先手を打たれ母の実家に結婚の申し込みをした父に断る理由も見つからないまま婚儀の日を迎えたのだと思います。

二人の結婚式の写真は見つけたら皆様にお披露目したいと思います。

私は札幌に家族3人で暮らす様になってからも父に懐かない子供でした。

父が家に居る時、私は正座をして、じっとしている子でした。

躾には厳しく話し方、所作等、小さい時から徹底的に躾られました。

父が帰宅すると幼い私は三つ指付いて「お帰りなさい」と出迎え、朝は三つ指付いて「おはようございます」夜は三つ指付いて「お休みなさい」何から何まで三つ指を付く。これが我が家の私の基本でした。

ただ、この躾は社会人になった時に、かなり役に立ちましたが、幼い私には、とても窮屈でした。

家を留守がちにする父が居ない時間は私には、ほっとする天国の様なひと時でした。

母と二人で大きな声で笑ったり、正座なんてしなくても母は何も言わないし、リラックスモード全開の楽しい時間でした。


父に連れられて行く先の○○親分○○兄貴の事務所では、幼い私にも若い組員の人は客人として扱い、お茶を出され菓子を出され。父と私が居る間、何人もの若い衆は両手を後ろで組み足は肩幅に広げ、ずっと身動きせずに立っていました。

そして共通するのは、どの事務所に伺ってもチリ一つ無い綺麗に掃除された部屋、部屋、部屋。

私の父も異常が付くくらいの綺麗好きでしたが、どの事務所も潔癖な程、綺麗でした。

それは何故なのだろう?

考えても幼い私には答えは出ませんでしたが。

家住みの若い衆が掃除を徹底的にしていたのでしょう。

我が家も潔癖症の父のお陰でいつも綺麗な部屋でした。

それは幼い私には逆に居心地の悪い窮屈な空間でした。

−話は続きます−