このまま、父の生前について、
ちょっと続けて書いていこうと思います。
自分の病気の経緯については、
またそのうち書きます。笑

前回は、
↑テーマ変えました。笑

お寺に預けられることになった、
中3になったばかりの私。。。
目の前に見えるのは、
絶望しかありませんでした。
お寺の人なんて、誰も知らない。
自分はこの家のどこに、
どうやって居ればいいのだろうか…
おばぁさんと、住職と奥さん、
息子さんとお嫁さんと暮らしているようだが、
私には何が何だかさっぱり分からない💦
そして、そんな怯えている私に構いもせず、
翌朝からは早速朝の勤行を一緒にさせられ…
般若心経なんて、お経本を読んでも
目が付いていかないんです。笑
そしたら、声が小さいと怒られる…
お寺に行って翌日ですよ⁉️
もう、その時は
震えながら半べそかいてました。笑

中学3年生といえば、
高校受験…
受験勉強をしなくてはなりません。
ですが、勉強には全然身が入ることもなく…
全く手に付かず、頭が付いていけない。
言い訳をしたいとすれば、
別に勉強をしたところで何?と。
授業だって、中1の時に亡くなった母の時や、
父のことで学校を休むことだって
決して少なくはなかったし。
今さら受験勉強をしたってどうせ無駄。
もうどうにでもなればいい。

…そんな感じだった私。
実に、酷い奴だこと。笑
しかも、
こんなに勉強出来ないのは、
脳腫瘍のせいだって!!
と、根拠もないのにそう思って逃げていたりも。

でも、元高校の教員であった住職は、
そんな投げやりになっている私を
放っておく訳がありません。
そして、お寺に住み始めて早々のある日には、
「もぅお前がバカだということは分かってる。
とりあえず、まずは作文書いてこい!」
ですって!
…さすがは元国語の教師。
あるテーマを3つ出されて、
それについて小論文を書けとのこと。

それから原稿用紙を渡され、
私は早々作文を書いて先生に見せると、
「これ、本当にお前が書いたのか⁉︎
えらい早いじゃねぇか。
それにお前、こんだけ作分書けるのに
勉強出来ないなんておかしいぞ!
と言われてしまいました。
どうやら、言うならば
作文が上手いのに
勉強が出来ないはずがない‼️
と言いたいらしい。
…でも、出来ないんですって!!笑
なのに、地元の高校は、
当時最低350点以上じゃないと、
受けさせてもらえないというのに、
過去問やったら、5教科で
200点行くかどうかなんだってばww
(模試では202点だった為、
私は202歩のマーチと呼ばれていました。笑)

じゃぁ、どうするか。
とりあえず、もうこいつの頭は諦めよう…
勿論、勉強はまだ挽回の余地ありだから、
出来る限りはやらないとダメだ。
でも、まだ諦めないぞ!!

…という訳だったのですが、私はあろうことか
学級・学年会長とか部活の部長とか、
それなりに内心点はよろしかった方らしく、
高校へは推薦入試で、
お得意の小論文と面接のみ✨
どうにかこうにかギリギリで、
その後は
地元の進学校へ入学することが出来ました。


この中学3年生の1年間は特に、
本当に色々な面で濃いことばかりでした。
実は、1年生の時に入ったバスケ部は、
母のことで放課後は
病院へ行くこともあったりしたので、
段々とレベルに追いつけなくなって退部。

その後は、廃部すれすれの美術部に入るも、
先輩方が卒業してしまえば、
私は部活がない…

最後は、音楽の先生に誘われて吹奏楽部へ。
実は、私には絶対音感があるのですが、
それならパーカスがいないし、
ぴよこ☆ならその音感ですぐ出来るからと…。
吹部では、卒業するまでの短い期間ながらも、
ティンパニー、コントラバス、ドラムを
中心にやらせて頂き、
これもまた貴重な経験が出来ました!

それから、学校のイベント等で合唱といえば、
何かと殆ど私が伴奏していたり…
ちょっと自慢なのが、
卒業式での呼びかけの時の約30分間、
普通はBGMをかけるかと思うのですが、
私は今まで歌った合唱曲をアレンジしたものを
呼びかけに合わせて譜面なしで
バックミュージック代わりにピアノで弾き、
歌を歌う時には切り替えて伴奏をし…
これをリハで全てを通しでした時は、
初めて頭を使いすぎて
頭痛がするという体験をしました。笑
タイミングはぶっつけ本番の勝負でしたから(*_*)
(今は全然弾けなくなったよ〜〜〜)
今思うと、もしかしたら
その時には既に腫瘍ちゃんが
頭にいたのかもしれないですね( ̄▽ ̄)

でも、実際のところどうなのかなー?
確かに周りには
あまりピアノを弾ける人はおらず、その中では
まぁまぁピアノが弾ける位置には居たのですが、
今思うと、先生が私に
何か芯となって自信を持つためにと
仕向けてくれたというのもあるのかなー?
な〜んて。そんな気もしています。
そうはいっても、お寺にはピアノがないので、
練習はちょっと大変でしたが、
本当に沢山のいい経験をさせて頂いたものです。


・・・で!
話を戻します。笑

初めてお寺に行って、
住職たちが私を見て思ったことは、

こいつはなんで
死んだ魚のような目をしてるんだ。
どうしてこうなったんだ。
それにしても、
身なりも悪いし、臭そうだし。。。
このままじゃダメだ!なんとかしなきゃ‼︎

と思ったらしい(°▽°)

しかも、お盆にお寺に勤行に来てくれた
お坊さんからは、
『くさ子』
という名前を付けられたくらい(´;ω;`)

確かに、持っていて着れるような服は、
自分には数枚しかなかったし、
それも中1くらいの時に買った服や下着たち…
穴が空いた服や、
ボロボロになった下着を
ずっと着ていました。

でも、買ってなんて言えないし、
買ってくれない。
そして、まずは足がなくて、どこにも行けない。
(田舎なので、電車だけだと行けても百貨店しかなく…)

私のそういった物は、
親戚からは誰1人として
気にかけてもらえませんでした。

お寺だって、そうは言っても他人…
その辺は、なかなか上手くいきませんよね(^_^;)

それから、住職にはよく、
お前は親戚に虐められてかわいそうだと
言われたものです。
邪魔者扱いしているのが分かると。


それでもなんとか
生き抜けて来たから良いのですが、
中学を卒業して高校生になってからは、
私はいよいよ実家で一人暮らしを
スタートさせることになります。


そんな中学生活でしたが、
私は1つ、これは絶対に言ってはいけないと
思っていた言葉がありました。
それは、

「◯◯は私とは違っていいよね〜。」
「私なんて◯◯より〜(ネガティブ)。」
「どうせ私なんか〜」

といった言葉。
これは絶対ダメです。
人には言ってはいけない言葉だと思っています。
…といっても、私、旦那には
めちゃくちゃ言ってますけど。笑
いくら仲のいい友人であっても、
他人相手に直接言うのはアカン。
これを直接本人に
言う人に何人も会ってきたけど、
それだけで幻滅しちゃう。。。
すっごく言いたい、すっごく羨ましいんだけど、
でも、自分には自分への羨ましさが
あると思うんです。 
そして、経験は積めば積むほど、
きっと人生の俵になると思うんです。


…という、
そんな、どうでもいいモットーが
中学生の頃からあります。笑



またまた因みに、住職は知らぬ間に
中学3年生の時に一気に太った私に対して
『ぶた!』
『ぶた子』
『くさ子』
って呼ぶようになったんですよ〜( ;∀;)
酷くないですかえーん⁉️
今もなんですよーえーんえーんえーん

…そんな住職ではありますが、
今でも仲良くやっています。笑



次は、高校生活についての
授業を行いまーすおねがい乙女のトキメキ

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写真は3年前の今日に撮ったものニコニコキラキラ
早くみこんな風に晴れないかな〜お願い


ちゃんちゃん口笛