ミュージカル「ひめゆり」全公演終演致しました。



まだ不安もある中で、劇場にお越しくださった皆様、来れずとも応援のお声をくださった皆様、関わった全ての方に感謝申し上げます。



今回の始まりは一昨年前に、井坂茜ちゃんとご飯に行った時、
「のんちゃん、親泊先生絶対合うと思うんだよね!」と言ってくれた事だった気がします。
学徒役をやった人が先生をやってくれるのが夢だ、とも語ってくれました。

初めて「ひめゆり」に出演してから10年経つし、もう私があの作品に出れることはないのかもなと思っていたので、その言葉で「いつか親泊先生を演じてみたいな」と言う思いが湧いた事を覚えています。

もちろんその段階では、まぁそのうちご縁があったらなーと思ったくらいでしたので、
その後お声が掛かった時は、驚きましたがとても嬉しかったです。


久しぶりのひめゆりという事で、改めて沖縄戦や学徒隊について色々映画や資料、書籍などで事前に勉強をして準備して、コロナ禍の中、8月からお稽古開始となりました。

さまざまな注意をしながらお稽古を進めておりましたが、10月、クラスターの発生により本番の2週間前に公演の中止。


悔しい、悲しい、仕方ない、色々な感情がぐるぐる自分の中で巡りました。



どちらにせよ2週間は隔離生活をする必要があったため、しばらくは抜け殻のように過ごしていました。


その後、気持ちも切り替えて生活を送っておりましたが、しばらくしてミュージカル座さんより上演の再決定と出演依頼の連絡が来て、正直すごく悩みました。

まだまだ感染者が多く不安も拭えない中で出演して良いのか。

クラスターを起こしてしまった団体さんを見る世間の目は大変厳しいのではないか。


しかし、やはり「ひめゆり」という作品への思い入れ、お世話になっているミュージカル座さんの再出発のお手伝いができればと、役者として自分が出来ることをしたいと出演を決めました。



お稽古は実際、大変な事も多かったです。

全員が一つの稽古場に一斉に集まるのは大きな稽古場に移動して本番の2週間前、それまでは一つの場面でも演者を分けて稽古しておりましたので、エアーの人に話しかけたり、エアー看護だったり。

また、飛沫が直接かからぬよう、対面での芝居を避けたりする事の注意もしておりました。

制限は多くありましたが、その分自分の芝居、表現を見直し、新しく考え出すことができたように思います。




特に考えたのは、自分の想いを歌う「人を殺せと教えて」。


今までは、生徒一人一人に説得するような動きがついていたため、想いをぶつけやすかったのですが、今回はそれが出来ないため、どうすれば限られた動きの中で想いを届けられるかすごく悩みました。

動きがあまりない方が先生の孤独が際立つと梅さんが仰ってくださり、最終的には納得のいく表現が見つけられたように思います。神谷先生役の免出さんは私がどんな球を投げてもしっかり受け止めてくださり、本当感謝です。



その後の曲「夢を見ましょう」も上原婦長役の三森千愛ちゃんはじめ、学徒役の子達とzoomなどで話を重ね、大切に作り上げました。



三森千愛ちゃんは2010年の「ひめゆり」で別班でしたが同じ学徒役を演じていましたので、学徒として生きた経験のある「婦長」と「先生」だからこそ出来た夢見だったのではないかと思っています。


曲の途中、婦長と目を合わす瞬間があるのですが、本当に感謝と信頼の気持ちが溢れて、千愛に後光が差して見えるくらい、なんとも言えない絆を感じました。

だからこそ、逃げる場面〜最後の洞窟まで、何が何でもこの子達を私が守るんだという気持ちで演じる事が出来ました。




可愛い愛しい、愛する学徒のみんな

こんなポンコツな先生を、先生と呼んでくれて、ありがとうございました。
先生らしくしなきゃと張り切りすぎて空回ったり、ボケてる所もたくさんありましたが、皆さんのおかげで「先生」として生きる事が出来ました。

民衆の皆さん
どうしてもお話しする時間は少なかったですが、皆さんと那覇の街の場面を作れて良かったです。




長くなりましたが、

今回改めて、演劇というものの存在価値を考えさせられましたし、私も役者としてどう有れば良いのかを考えました。


非常時に演劇は不要不急になるのかもしれない。

でも、その演劇に救われる人もいる、という事を改めて思いましたし、使命があると思いました。


私は世間知らずでお人好しと言われる事もありますが、人の心を信じていきたい。そのために演劇を続けたい。今回改めて強く思いました。




本当に本当に、全ての皆様に感謝です。

ありがとうございました。







公演はおわりましたが、今月アーカイブ配信がございます。

公演にお越し頂けなかったかた、もう一度見たい方もぜひご覧頂ければと思います。






ミュージカル「ひめゆり」

 25 ()月組公演を撮影・アーカイブ配信する事が決まりました。


配信期間

2021/04/19 () 0:00

~

2021/04/25 () 23:59


チケット発売期間

2021/3/19 () 10:00

~

2021/04/25 () 19:00

( ご入金確認の関係上、配信開始日 2 日前よりお支払い方法はクレジットカードのみと なっております。その他のお支払方法をご検討のお客様はご注意ください。 )

配信メディア

イープラス「 Streaming+ 

(視聴チケットを購入するには、「イープラス」への会員登録(無料)が必要です。 ) 

お客様ご自身 で会員登録・チケット購入していただく形になります。


視聴チケット価格 

1)一般視聴券 3,800  

2)特典付き視聴券 8,300 

 

特典付き視聴券について★ 

特典を後日お届けするお得な視聴券。

【枚数限定】で販売いたします。

<特典内容>

・本公演プログラム (定価 1,500 ・「ひめゆり」ライブレコーディング CD(定価 3,300 )

<発送予定> 5 月下旬頃

ライブレコーディング CD は星組公演の収録となります。

 特典付き視聴券 の特典発送はミュージカル座で行います。 ライブレコーディング CD は単品販売もございますが、公演プログラムのオン ラインでの単品販売は未定となっております。


 

視聴チケットお申込みページ URL (イープラスのページ

https://eplus.jp/sf/detail/3397350001-P0030001


(他の方法でお申込みいただくことは出来ません。)



【「イープラス」でのチケット購入時、視聴環境の確認やその他注意事項。】

「間違って購入した」「購入したが視聴できなかった」等、お客様都合によるキャンセルは出来ません。ご注意ください。

視聴チケットをお求め 頂くと、視聴期間内は何度でも映像を見返すこ巻き戻しや早送りなども可能です。







2021年3月11日、東日本大震災から10年の月日が経ちました。


あの日あの瞬間、私は都内のある神社にいました。

地面にゴゴゴゴというような地響きを感じ、あ!と思ったら神社の入り口の門が揺れ始め、

石の灯籠がこちらに倒れてきて、私の真横に転がりました。


その日私は、スタッフとして入るとある公演の初日で、早めに劇場近くに来ていました。劇場に向かう前にお参りをしようと神社に来ていたのです。

とにかく劇場に向かおう、とそれからすぐに劇場へと向かいました。

途中何度も余震があり、その度にガラス張りのビルがぐらぐら揺れる姿に、ガラスが割れて降ってくるのではないか、ビルが倒壊するのではないか、と恐怖で涙が出そうになりながら劇場へと足を進めました。


もちろんその日の公演は中止、私たちもその場で解散となりましたが、電車が動いているはずもなく、

劇場に災害用の毛布は置いてあるとの事で、劇場に泊まるしかないかと思っておりましたが、

ありがたい事に、劇場から割と近くに住んでいるが泊めてくださるという事になり

劇場まで車で来ていた方がその方の家まで車で送ってくださいました。

その途中、コンビニで食料を購入しようと立ち寄ったところ、おにぎり、お弁当、パン、ほとんどの商品がなくなっており、すでに買い占めが始まっている様子でした。


その間になんとか家族と連絡がつき、家族の無事が確認出来てホッとしておりました。


翌日、前日中止になった公演、これからの公演の対応の為朝から働きました、その間流しっぱなしになっているテレビからはニュースや被災地の映像が流れ続け、心も頭も落ち着かないまま。。


電車が動き始めたと言う情報がが出て、帰路につく事になりましたが、途中の駅までしか電車は動いておらず、行けるところまで電車に乗って、あと7駅分は徒歩で帰る事になりました。

ですが、その後家族と連絡が取れて、車で行けるところまで向かってくれると申し出てくれたので、なんとか電話やメールなどで連絡を取り合い、無事に家族と会えた時は心からホッとしました。

歩道を歩く人の行列。

渋滞の車。車のライトの波。、あの光景は今でも忘れられません。



私の両親の実家は福島県いわき市です。

父方の実家は原発の避難区域のギリギリ外。


高台にあった為津波の被害もなく全員無事でした。ですが、原発や余震の心配などの為、親戚家族全員で我が家にしばらくの間避難することになりました。


狭い我が家に大人数が暮らすというのは、もちろん助けてあげたい気持ちはあっても、大変なストレスでもありました。

食事の時にもテレビから流れるのはニュースや被災地の様子。特に見慣れたいわきの港が津波で壊滅的な被害を受けている映像は本当に胸が痛くなりました。全員が無言で食卓を囲むこともありました。

我が家はそれまでそんなに大きな喧嘩をすることはなかったのですが、だんだん余裕がなくなってきて、生まれて初めて見るような大きな喧嘩もあったりして、

衝撃だったし、そこまで追い詰められてしまったんだなっていうやるせなさも感じて、すごく切なかったです。


そんな中、私は自身が出演する公演が2本控えておりました。


主催より公演は予定通り上演するという決定を受けましたが、稽古場の近くの道路では液状化の痕跡が残り、節電も呼びかけられる。世の中が大きな混乱の中、本当にこのまま上演して良いのだろうか、舞台は人々に必要なものなのだろうか。と毎日思い悩んでおりました。


そして2週間程で親戚家族は福島へ帰り、わたしにも日常が戻ってまいりました。


公演も一つは中止、一つは1ヶ月半後に無事に上演できました。



大変長くなりましたが、私の震災の回顧録です。


私の中では、あの日一日が震災という訳ではなく、この全部の出来事が震災だったという思いがあります。

でも、きっと震災を体験した人が全員がそうですよね。


たった一日、たった数十秒の出来事が世界をまるっきり変えてしまった。


私は、親族が被災したといっても全員無事でしたし、被害も少なかったです。

もっと辛い悲しい思いをされた方はたくさんいらっしゃいます。



災害は誰のことも恨むことは出来ません。

だからこそ、この地震を教訓に、いつまでも忘れずに、今後いつ起こったとしても生き延びるための知恵と対策をしなければと思うのです。



10年という月日は流れましたが、まだまだ解決されていない問題もあります。

節目ではありますが、何も終わりではない。まだ途中。



最後になりましたが、東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。