50点。滅茶苦茶。
夏休みを迎える終業式の日。先生に頼まれ、欠席した級友の家を訪れた。きい、きい。妙な音が
聞こえる。S君は首を吊って死んでいた。だがその衝撃もつかの間、彼の死体は忽然と消えてしまう。
一週間後、S君はあるものに姿を変えて現れた。「僕は殺されたんだ」と訴えながら。僕は妹の
ミカと、彼の無念を晴らすため、事件を追いはじめた。
(Amaz○nより)
作中で主人公が正直に告白している。
「僕、物語を終わらせたくなったんだ」
「あまりにこんがらがってきちゃったから、このへんでお終いにしようと思って。
実際、ここまで複雑になるなんて、思ってなかったんだよ。もう自分で、何がなんだか、
わけがわからなくなってきちゃってさ」
実際、ここまで複雑になるなんて、思ってなかったんだよ。もう自分で、何がなんだか、
わけがわからなくなってきちゃってさ」
そう。物語は既に破綻していたのである。作者もそれを自覚している。
主人公が見ている世界が、歪なものであったという衝撃の展開になるのは決して悪い展開ではない。
主人公の認識していた(認識しているかのように思わせた)ものが、事実と異なるものであったと
主人公の認識していた(認識しているかのように思わせた)ものが、事実と異なるものであったと
いうことが発覚する展開も決して悪い展開ではない。
では、何故この小説は壊れてしまったのか?
「主人公」が最後まで「主人公」で在り続けたのが、悪かったのかも知れない。
ある世界を認識するには、一度そこから離れた場所からそれを俯瞰する必要がある。
相対性は、それを創り出した当事者によって示すことはできないのだ。
ある世界を認識するには、一度そこから離れた場所からそれを俯瞰する必要がある。
相対性は、それを創り出した当事者によって示すことはできないのだ。