「自分なりの逝き方」を健康なうちから考えておく

 

 

こんな記事が目にはいりました。

 

 

いつまでも現役でいたい気持ちは誰にでもあります。

でも「卒業」のタイミングを見逃して、老いさらばえるのはいかにも悲しい。

 

残り時間を愉しく、有意義に生きるって・・・

 

 

幸福な最期を迎える条件は4つあると書かれていました。

 

 

●痛みが最小限であること

 

●多少のわがままが許される環境であること

 

●遺族に悔いを残さないこと

 

●そして、家族と心ある医療従事者がそばにいること

 

だそうです。

 

どれか一つでも欠けてしまうと、

最後の最後で苦悩や後悔を抱えることになってしまいます。

 

 

 

A(享年78)さんのケースです。

 

肺気腫による慢性的な呼吸不全と肺がんによる疼痛に長く苦しんでいました。

 

死期を悟った山田さんは自宅で死ぬことを望み、

 

容態が急変したら看取り医を呼ぶことを家族と話し合い、決めていました。

 

 

 

蘇生後の「苦悶の表情」

 

 

ある日の夕方、Aさんは『意識が混濁』し、家族は医師に連絡をしました。

 

そこまでは良かったのですが、最近心肺蘇生の講習を受けた次男が

心臓マッサージを行い、蘇生させたのです。

 

 

親族は『よくやった!』と彼を英雄扱いしました。

 

しかし、医師によると、到着して表情を見ると

Aさんは明らかに苦悶の表情を浮かべていたそうです。

 

 

少しでも長く生きてほしいというご家族の気持ちも痛いほど分かりますが、

本人にとっては苦しみが引き延ばされることになってしまいました。

 

結局、息を引き取ったのは翌日の深夜でした」

 

 

Aさんは、家族と「卒業のタイミング」について話していなかったのでしょうか。

幸せな環境は整っていたのに、なぜかむなしいですね。

 

 

 

私は10年ほど前に高齢の両親を見送りましたが、

両親からは、日ごろから延命処置はしないでくれと言われていました。

そのため、病院から連絡があり駆けつけたときも

延命措置は断りました。

 

 

幸い、意識ももうろうとしていたので痛みはなかったと思いますが、

「自分は冷たい人間ではないか」という気持ちがどこかにあったのは事実です。

 

 

ただ、私自身も延命措置はしてほしくないと思っている人間なので
「これでいいのだ、早く楽になって」という思いの方が強かったです。

 

 

いつまでも、生きていてほしいという家族の思いはあるものの、

自分の卒業のタイミングについては自分で決めたいですね。