シン・エヴァンゲリオン劇場版 公開日:2021年3月8日 制作:日本 評価:☆☆☆☆ 完了日:2021年6月20日 ラベル:SF+ダーク・ファンタジー

 

 

 

 

 

エッフェル塔だけは、壊さんでくださいよ!(フラグ)

 

※作中にこんなセリフは出てきません。観てる人間の側の願いです。

 

 

 

エヴァンゲリオンに搭乗してきたで。

ちなみに、無限列車には乗車しそびれた(笑)

 

 

2021年6月12日から新しい入場者プレゼントの配布がなされたとのことで、この機会に行ってきた。

限定100万部!

 

家から一番近い映画館(と言っても、ロードバイクで約1時間かかる)のイオンシネマは、夜からしか上映してない。

そんな時間から観始めたら、家にたどり着くの何時になると思ってるんだ!

 

幸い、もうちょっと先に行ったところに別の映画館で昼から上映してくれるところがあったからそこにした。

映画館なんで市内に無いねんチーン

 

 

↑無事ゲット(全32Pのブックレット+アスカとアヤナミ(仮)のイラストチラシ)

 

映画館にまだ入場者プレゼントがあるか、電話で確認してから行ったのだよ。

 

 

 

☆エヴァ年表(簡易版)☆

『新世紀エヴァンゲリオン(TVアニメ版)』(1995年)

『エヴァンゲリオン新劇場版:序』(2007年)

『エヴァンゲリオン新劇場版:破』(2009年)

『エヴァンゲリオン新劇場版:Q』(2012年)

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:Repeat close.png』(2021年)

 

 

 

冒頭、「これまでのエヴァンゲリオン」が流れる。

うん、これだけ観ても、たぶん意味が分からんよな。

前作までの記憶が遠い人や今作で初めてエヴァンゲリオンを観る人(そんな人いるのか?)にとっては。

 

自分は、前日に『破』と『Q』を観た。

『Q』はまったくの初見だった。←放置しすぎだ。

 

 

 

エヴァンゲリオンなるものを初めて観たのは、中学生くらいの時。田舎だから、東京とかで放送されて数年経ってからのものだった。

夕方のアニメ枠でTVアニメ版が3、4話放送されて、「次回から深夜〇時に放送します」とテロップが出た。

 

なんでだよー!!ポーン

となった。

 

ビデオデッキなんて無かったから、録画で観ることなんて夢のまた夢だったのだ。

 

 

 

 

セカンドインパクト

 

そこからさらに数年後。エヴァンゲリオン再始動の報が流れる。

その時に、日本テレビ系列でエヴァンゲリオンTVアニメ版の再放送がなされた。

 

この時、大学生。リアルに刺さった。

これは「自分の物語だ」と。

シンジくんは自分なのだと。

 

↑刺さってんねん

 

 

 

『Q』を観て思ったのは、「シンジくん、大人になれよ」だった。

あれから何年経った?

その間に、自分は大人になってしまったぞ。

 

悲しいことに、自分はもうシンジくんサイドの視点で物語を観ることが出来なくなってしまった。

大人に、なってしまったのだよ。

 

 

 

 

長い長い暗闇の底をようやく抜けたんだね、シンジくん

 

Twitterで見つけたこんな会話

「オレ、学生の頃、アスカが好きだったんだけど。今観たらマリって、いい女だよな」

「分かる」

 

エヴァの二大ヒロインとして、レイかアスカ、どちらか好きになるよう設定されていると、どこかのアニメ評論家が言っていた。

そして、第三のヒロインとして『破』から登場したのがマリ。

 

↑真希波・マリ・イラストリアス

ゼンショーグループコラボ「三食補完計画」プレゼントのクリアファイルより

 

 

子どもだった自分たちには、レイかアスカが魅力的に映る。

だが、マリは大人になった者にこそ良さが分かるヒロインなのだ。

 

長い時を経て、みんな大人になった。

Twitterの彼らも、シンジくんも大人になったのだ(精神的な意味の)。

 

だから、〇〇〇〇〇〇のだろう(ネタバレ防止)。

 

 

あの訳の分からない最終回を含むTVアニメ版を全話観た時、思ったこと。

「人類補完計画」とは、もしかしてシンジくんの性格矯正計画のことなんじゃないか、と。

 

本作『シン』を観て、そのことを思い出した。

中らずと雖も遠からずか。

 

 

 

 

さよなら、全てのエヴァンゲリオン

 

思えば、庵野監督のワガママに我々は約四半世紀の間、付き合わされてきたのだな。

まぁ、クリエイターなんて、ワガママな生き物なのだけど。

 

ワガママではあったが、と同時に庵野監督にとっては、エヴァという呪縛からの解放であった。

 

TVアニメ版終了後、バッシングの嵐に見舞われた監督は精神のバランスを崩し、自殺未遂にまで追い詰められる。

それを、約四半世紀かけて一つの到着地点、『シン・エヴァンゲリオン』という形に昇華してくれた。

 

巨大コンテンツに成長したエヴァ。

始めた者の責任としてきちんと終わらせなければいけない。

 

それは、作中のシンジくんの姿と重なるのだ。

 

 

 

 

シンジくん=ゲンドウ(父親)=庵野監督

ゲンドウ≒カヲルくん?????

 

↑rigret「綾波をボクに下さい、おとうさん!」
ゲンドウ「誰がお義父さんだ」
 
 

 

今回、初めてゲンドウの胸中が語られる。

その思いは、そのまま庵野監督の妻・安野モヨコ(マンガ家)に向けた思いでもあるんじゃないかと思った。

丸ごとすべてとは言わないが。

 

だから、作中であんな演出がなされたのだろう。

これまでの感謝のしるしとして。

 

 

 

 

少年よ、神話になれ

 

完結までに約四半世紀かかったエヴァシリーズ。

あの頃、エヴァが刺さった若者たちは、就職や結婚、子供の誕生などでライフステージを変化させている。

あの頃とは違うものの見方、感じ方をするようになっている。

 

変わらない人間なんていない。

みんな、大人になった。

 

長い年月をかけたからこそ、『シン・エヴァンゲリオン』は、あのような結末を迎えたのだろう。

多分に我々観客(視聴者)の人生そのものとリンクした結末を。

 

これが3か月ごとに切り替わって、ただただ消費されていくだけの昨今のようなアニメだった場合、たぶんこんな気持ちにはならない。

 

自分はエヴァ再始動の頃からがっつり付き合い始めたから、かれこれ15年になる。

15年でこんな気持ちになるんだもん。約四半世紀付き合ってきた人たちにすれば、感慨もひとしおであろう。

 

 

だけど、宮崎駿監督によれば、庵野監督は「大人になりきれなかった人」。

大人になってしまった自分たちは庵野監督を置いてきぼりにするのだろう。

 

庵野監督。エヴァの呪縛から解放されたんだ。

もうこうなったら子どものままの気持ちで、ゴジラでも仮面ライダーでもウルトラマンでも、好きなこととことんやっちゃってください。

 

↑『DAICON FILM版 帰って来たウルトラマン マットアロー1号発信命令』より

 

 

↑ゴジラ

 

 

結論:エヴァシリーズとは、子供から大人への脱却、そしてエヴァンゲリオンからの卒業の物語であった。

 

 

分かりやすいもの、頭を使わなくていいもの、全て説明してくれるものが好まれる昨今の風潮から、エヴァのような難解な作品は世界が変容しない限り、当分は出てこないだろう。

 

さーて、『プロフェッショナル 庵野監督スペシャル』をまた見返してみますか。