ぼくらのひみつ 著者:藤谷治 出版社:早川書房 出版年:評価:☆☆ 完了日:2015年5月19日 ラベル:SF+青春

 

 

 

 

 

 

「生きることは捨てることだ」

 

 

 

繊細でカラフルな装丁画に魅かれた。不思議な世界観の絵。

絵に相応しく、内容も摩訶不思議であった。

 

 

 

2001年10月12日午前11時31分の世界で、ぼくらは出会った。

時空の狭間に閉じ込められたなら、あなたはどうする?

 

 

主人公の若者は、時間が止まった世界に生きていた。

すなわち、2001年10月12日午前11時31分の世界に。

 

何がきっかけでこうなったのかは分からない。気づいたら、11時31分より前に時間が進まなくなっていたのだ。

時計の故障などではない。何度確認してもそうなのだ。

 

若者はこのことをノートに記す。名前も顔も知らない誰かに伝えるために。

 

 

 

彼はある意味、無限の時間を手に入れたようなものだ。

ちょうどバイトも休みの日で、仕事に行かなくてもいい。

 

だが、その永遠の時間も、しばらくすると飽きてくる。

本を読んでも、映画を観ても、寝ていても、すべてがつまらなく思えてくる。

時間を持て余すのだ。時間は進まないくせにね。

 

こうみると、人間ってわがままな生き物だなぁ。

仕事がくそ忙しいときは、「あぁ。思う存分、寝て遊びたい」と思うけど、いざそんな自由な時間が手に入ると、「もう飽きた。仕事してる方が楽だ」と思ってしまうんだから。

 

 

 

話の大半はどうだっていいことだ。意味が分からないし、分かったところで何ら役に立ちはしないだろう。

時が止まった世界にいる若者のことなので、前半は若者以外の登場人物らしい人物はいないから、ほぼ彼の一人語りだ。

会話がない。寂しい。

 

時が止まった世界というが、他人(モブ)たちは動きを止めているとか、そういうことはない。ちゃんと動く。

ただ、主人公の若者だけが、11時31分の世界にとどまっているということなのだ。

 

 

 

中盤になってようやく、2人目の重要人物が登場してくる。

京野今日子。

若者と出会ったことにより、彼女もまた11時31分の世界にとどまることに。

 

今日子はエキセントリックというか、普通とは違った考え方・感覚の持ち主。

 

どうしてこんな世界に閉じ込められてしまったのか、真相を突き止めようという今日子からの提案で、二人は旅に出ることに。

 

 

 

211ページ後半~214ページ前半の部分がひどいことになる。

文章全部がいきなり平仮名だけになるのだ。

 

読むのきついぞぉ~。まぁ、読んでも意味がない文章だけどな。

 

 

 

問題は、同じ時間に止まり続けると人間はどうなるか、である。

永遠の時に閉じ込められることで、人間も永遠の時を生きるのか。時は永遠でも、人間の方は肉体が老化という死へと向かっていくのか・・・。

 

 

 

結局、なんだったのか。何も意味が分からない作品だったな。

 

最後の部分、カフカ『変身』を彷彿とさせた。

 

えーっと、つまり、人生ひいては時間は有限である。だから、後悔するような生き方はするなよ!ということだろうか。

さっぱり分からん、不条理小説。