夏の階段 著者:梨屋アリエ 出版社:ポプラ社 出版年:2008年3月10日 評価:☆☆☆ ラベル:青春
 
 
 
 
 
ぼくの想いは届かない
 
 
巴波川(うずまがわ)高校を舞台にした連作短編集。
 

【収録作品】
夏の階段
春の電車
月の望潮(もちしお)
雲の規格
雨の屋上
 
 

「夏の階段」
そこだけぽっかりと開いた穴のように、住宅街の中に取り残された階段があった。たかだか1.5mくらいの高さのその階段に上ったからといって、見える景色が劇的に変わる訳じゃない。
 
 
高校1年生の玉木は孤独な少年だ。自ら孤独になろうとしている。外部からの交流を遮断するためなのか、彼は家でも学校でもいつでもイヤホンをして音楽を聴いている。
 
取り残された階段の向かいにある家の住人とひょんなことから知り合いになった玉木は・・・・。
 
 
全ては勝手なる思い込み、勘違いだった訳だ。いやー、恥ずかしいったらありゃしない。
 
少年の心にいつもどんよりとかかっていた雲が晴れていき、ラストはぴっかりとした空になったかのような心地になる。
 

「月の望潮」
福田和磨は緑川千映見(ちえみ)のことが気になっている。
その緑川は、いつも玉木のことを目で追っている。
さらにその玉木は、遠藤珠生にホの字のようだ。
 
・・・なんだ、この四角関係。
 

遠藤と同じ中学だった福田は彼女のことをよく知っている。すなわち罪作りな女。
彼女は誰にでもフレンドリーに振舞うため、特に異性からは「もしかして俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いする者を続出させる。
 
恋愛絡みとなると他人の感情にすこぶる鈍くなる当人は、そのことに気づかない。
玉木もその犠牲者(?)の一人だった。
 

緑川の気持ちを思うといたたまれなくなる。彼女のことを思ってとっさに出た福田の行動は、なぜだかいつも空回り。墓穴ばかり掘っているような感じがする。

どうしてキミはそう、人に勘違いさせるような言い回ししかできないんだ。歯噛みする。
 
 
「雨の屋上」
福田の友達でもある河野健治は、イケメンでチャラ男だ。女子にたいそうモテる。
でも、そんなのは上っ面でしかないと遠藤珠生は見抜いている。
 
 
かくいう彼女も同じだと思うけどな。似た者同士だよ、君たち。
上っ面だけで生きて、これ以上踏み込んでこないようにやんわりと線引きをして。
河野は寄ってくる女子たちを公平に愛したいがために、遠藤は誰に対しても善い人でありたいがために。
 
2人とも個々人として他人を見ていない。自分と複数のかたまりとしての他人としか捉えていない。だから、誰か特定の個人とそれ以上に深い関係になることはない。なれやしない。
 
相手を知ってしまうことは、自分のことも相手に知られてしまうこと。それを2人共、恐れているのか、なんなのか。
 
 
本作品のなかで、表出している顔と内心に大きなギャップがあったのは、この遠藤である。他人からの指摘を受けてキャピキャピッとした話し方に変えたとあるが、内心は堅苦しいままの「です、ます」調だった。
 
それまで登場してきた各短編から受ける印象とは大きく異なっていたため、最初は「誰だ、コイツ?」となった。このキャピキャピッとした口調が鼻につくことこの上ない。
 
 
遠藤はずれている。人として決定的に何かが欠けている。
 
”善い人でありたい”とするがあまり、その言動が敏感な思春期まっただ中にいるクラスメイトたちにとっては非常にウザい。特に女子たちにとっては鼻につくことだろう。
 
 
一見すると正しい。そうすべきなのだろう。だが、現実はクラスの壁に掲げられている標語のようには上手くいかない。それを分かっているクラスメイトたちと分かっていない遠藤。
 
遠藤は後生大事に標語を守ろうとする。そのために遠藤とクラスメイトたちの間に亀裂が生じていくのだ。
 
 
みんなに平等にというのは無理がある。どんなに善い人を演じていようとも、その奥深い所まで理解していないがために、結局は表面的なやさしさに止まってしまうだけだ。だから齟齬が生じる。
本当は違う。本当はこうなのに、と相手に思わせてしまう。
 
 
「みんな」ではなく特定の「誰か」を作るべきなんだよ、遠藤は。そしたら彼女の心は救われる(たぶん)。