新凍り付いた瞳(め) 子ども虐待ドキュメンタリー 作画:ささやななえ 原作:椎名篤子 出版社:集英社 出版年:2003年9月24日 完了日:2019年9月5日 評価:☆☆☆☆ ラベル:福祉+社会問題

 

 

 

 

非力な子どもたちを取り巻く世界が胸を穿つ

 

 

 

児童虐待とは
1.児童の身体に外傷が生じ、または生じる恐れのある暴行を加えること
2.児童にわいせつな行為をすることまたは児童をしてわいせつな行為をさせること
3.児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食または長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること
4.児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと

 

 

1999年に制定された児童虐待防止法。それに抑止効果があるとは思えないほど、全国各地そこかしこで児童虐待が起きている。我々は子どもに卑劣な行為を働く輩に対して無力なままなのだろうか。

 

ほら、今日もまた子どもがどこかで泣いている――――――。 

 

 

 

【目次】

第1話 SOS、SOS、助けて 

第2話 サウナの家《前編》《後編》 

第3話 長い家路《前編》《後編》 

第4話 母子治療《前編》《後編》 

第5話 ふたりの法医学者 

あとがき 椎名篤子、ささやななえ 

 

 

 

2002年~2003年まで雑誌『YOU』にて掲載された。この絵柄は読む人を選ぶかもしれない。

 

本書では、虐待あるいは虐待による死、育児放棄(ネグレクト)、性的虐待、そこから発生する子どもたちの非行等が取り上げられている。

 

 

 

どの話の子どもたちにも通底しているのは、「愛されたい」という痛烈な思いだ。人として生まれたなら抱くであろう至極まっとうな思い。その小さな小さな願いですら満たしてはもらえない。 

 

自分は愛されている、ここに居てもいいのだという実感のないままに育った子は自己肯定感が著しく低くなることが多い。そのために自傷行為や非行に走ったりしがちだ。人が人として生きられるようになるためには、何よりも愛情が必要なのだ。

 

 

 

本書は取材に基づいて構成されたフィクションである。フィクションではあるが、子どもたちおよび関係機関(児童相談所、警察、病院等)を取り巻く現状を如実に描き出している。

 

ページをめくるごとに明らかになるショッキングなエピソードに涙が止まらなくなる。読みやすいマンガ形式になってはいるが、一つ一つが重すぎるために一気に読むことはためらわれる。きちんと自分の中で消化しないと次に進めないのだ。 

 

 

 

愛情を知らないままに育った子どもは、他人との距離感が分からず、また他人を信用することが出来なくなる。そのために、健全な人間関係の形成が不得手になってしまう。己の感情を上手く表現することが出来ず、その苛立ちが暴力という形で発露する。

 

非行少年―――――とラベリングするのは簡単だが、なぜそうなったかを知ろうとすれば、生れてきてよかったと言ってほしい子ども達の必死のSOSであることが理解できる       第3話後編 186Pより

 

児童虐待に限らず何か問題が発生した時、それだけを取り除けば解決すると考える人が多い。虐待が起きれば虐待した人間を罰すればよい、非行が起きればその子を排除すればよい、というように。 しかし、それでは何ら解決にはいたらない。物事の本質にまで迫ってみていかなければ意味がない。そこまで見て理解して、その上での解決策を施さなければ同じ問題は何度でも噴出する。

 

 

 

自らの経験をもとに「家族はこうすべき」「子どもへのしつけはこうあるべき」といった、家族論、家族教育論、逆にそうした論が、当の親や子どもを社会から孤立させてしまうことにもなりかねません。 『子どもが育つ条件~家族心理学から考える』柏木 惠子 著、岩波書店より
長男と次男は強制的にいい子になろうとして生きてきたのだ。成績がよく父親の望む通りになることが、親に愛してもらえることだというすり替えも起こしていたのだろう。それは、父親の機嫌を損なわず暴力から逃れる術でもあった                                   第4話後編 258Pより

 

規範意識の強さ、こうでなければいけないという強い思い込みがしばしば虐待へとつながっている。周囲から見れば疑いようのない虐待に当たるのに、当事者が「これはしつけだ」と言ってのけるのもこうした思い込みが深く関わっていることだろう。 

 

 

虐待は連鎖することが多い。虐待をする当事者自身が子どもの頃、その親から虐待を受けてきたという話は多い。これは虐待ではなくしつけだと思い込みたいがために、自分の子どもにまた同じことを繰り返していくのではないだろうか。あの時、自分が受けた行為を虐待だと認めたくないがために。

 

 

 子どもの頃に受けた心の傷を癒すことなく大人になってしまったら、あの頃の自分を置き去りにしたまま向き合うことなく今度は自分が子育てする側に回るから、虐待の連鎖という結果になってしまうのではないだろうか。

 

 

 

 作画を担当したささやななえさんのあとがきによれば、マンガ化する際に苦労したという。

 

 「これをいったいどうやってまとめたらいいんだ!!―――――泣いた」

 

 その心中、お察しする。マンガにはセオリーがある。1ページに最大8コマまで、文字数は多くならないようになどのセオリーが。児童虐待に関する専門的な話を難しくならないようにマンガに落とす行為は、そう簡単なことではないだろう。

 

 

 彼女の苦労のかいあって渾身の力作が出来上がった。どうか児童虐待について関係機関だけではなく、もっともっと幅広い層に読んでもらいたい一作。

 

 

虐待に関連する毒親についての記事↓

https://toyokeizai.net/articles/-/300920