踊る猫 著者:折口真喜子 出版社:光文社 出版年:20121018日 評価:☆☆☆ 完了日:20141121日 ラベル:時代小説富士山&伝奇叫び

 
 
 
 
 
 
 

踊る阿呆に、見る阿呆

同じ阿呆なら、踊らにゃ損そん!

 

 

 

 

 

装丁画。にゃんこよりもその周辺にいるスライムなのかアメーバなのかよく分からん物体の方が気になる。背表紙には猫になり損ないのやつがいるしな。

 

 

 

著者デビュー作。短編集。少し不思議な話ばかりを集めてある。

 

 

【目次】

かわたろ

月兎

踊る猫

鉦叩き

夜の鶴

鳶と烏

雨宿り

梨の花

梅と鶯(第三回小説宝石新人賞受賞作)

 

 

 

 

 

「かわたろ」

島原で遊女をしている女。手習いで招かれた俳句の先生が昔、一度だけ会ったことのある人だったこともあり、彼女はぽつぽつと思い出話を始めるのだった。

 

 

幼少期に川で泳いでいてケガをしてしまった彼女。その時、助けてくれた誰か。

それ以降、家の前に獲ってきたばかりと思われる魚が毎日届けられるようになる。果たして、その正体とは―――?

 

 

 

短いなかで女の半生が語られ、今の境地に至るまでの心の動きがよく見て取れる。昔話に題材を採った芥川龍之介の短編に近いものを感じる。

 

 

各短編に出てくる男(先生)は、いづれも共通した人物。名前は蕪村。

 

 

 

 

 

「鉦叩き」

父親に虐待されている子供を発見した男は、急いでその子供を助け出す。

 

 

その数日後、男は友人である太祇(たいぎ)に出会い、虐待されていた子供のことを踏まえて、とある不思議な話をしだすのだった。

 

 

京極夏彦『姑獲鳥の夏』に関連するような話。

 

 

 

 

 

「鳶と烏」

何事もはっきりと口に出さない京の人のなかにあって、威勢のいいお駒という老女がいた。

彼女に興味を持った男は、それとなく話をしてみることに。

 

 

人間は生きていくうえで様々な感情を持つ。特に怒りや憤りといった負の感情はパワーが強く、後々にまで尾を引きやすい。そういう時には自然に目を向けてごらん。生きとし生けるものたちは、自然の脅威にさらされてもなお、悠然とした強さを持っている。

 

 

ほんの少し、素直になってみる。それだけでも違うから。

 

 

 

 

 

「梅と鶯」

探梅という言葉がある。なんと風流なことだろうか。現代じゃ桜ばかりに目が向いて、梅はいささか地味という印象があるからな。どうしても梅は桜に見劣りしてしまう(注目の度合いという意味において)。

 

 

植木屋で働いている宗七。夜の道を歩いていると、誰かにつけられているような感じがする。だけど、振り返っても誰もいない。

 

 

気のせいかと思う宗七。そこへ、ちょうど屋台があったので何か食べようと入ってみることに。屋台のオヤジが一人分でいいのかとおかしなことを聞く。後ろを見るとそこには顔の青白い見知らぬ女が立っていた。ぎゃー!!幽霊!?

 

 

話を聞くところによると彼女は記憶があいまいで、どうしてこんな所にいるのか分からないのだという。これも何かの縁。宗七は女の正体を探る手伝いをさせられることに。そんな縁いらねー。

 

 

 

 

ホロリときた。特に若旦那が気持ちを爆発させるところなんか。女の正体を知るのと同時に、彼女らのお互いを深く想うその気持ちに日本人特有の奥ゆかしさをみる。

 

 

外国人から見たら日本人は本音を話さないとか言われてるけど、日本は悟る、慮る文化なのでな、一概にそれが悪いとは言えんよ。だから、おもてなし、気配りができるのだ。

 
 
最近ではこれが高度に要求されて、日本全体が疲弊してるような感じだけど。何事も行き過ぎは良くないね。