この世界の片隅に 公開年:2016年11月12日 制作:日本 評価:☆☆☆☆ 完了日:2017年3月12日 ラベル:近代ビル


 


ありがとう
この世界の片隅で、うちを見つけてくれて





ついに、ついに観に行ってきたぞ。『この世界の片隅に』を!!


初めて1人で映画館まで観に行ったぞ。ちょっとドキドキ。
3月中旬で上映終了となると知って急いで行ってきた。全国公開から遅れること3か月後に近所の映画館で取り扱うようになったのに、実質2ヶ月ぐらいしか掛かってない。『君の名は。』は4ヶ月以上経ってもまだ掛かってるというのに。


前回は友達と別の映画を観たが、がっかりだったからな。事の顛末はこちら
映画鑑賞『破門 二人のヤクビョーガミ』





原作はこうの史代の同名マンガより。


第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベストワン及び監督賞。
第71回毎日映画コンクール日本映画優秀賞・音楽賞・大藤信郎賞などを受賞。





物語は昭和8年から始まる。浦野すず(8歳)は3兄妹の真ん中っ子。おっとりとしていて、どこか抜けている。絵を描くのが得意な女の子。広島市在住で家は海苔の製造業をしている。





昭和18年、すず18歳。呉市の北條周作という男性の元へ嫁ぐことになる。相手のことを何も知らないままに、いきなりの求婚ときたもんだからすずは戸惑うものの、そのまま呉市に行くことに。


挙式を終えたら、すずの家族は割合あっさりと帰っていったな。


初夜を迎える時の隠語がなぁw
それを前もってばあちゃんに教えてもらうんだけど、すずさんは鈍いから分かってないよ。





呉市は海軍の街。軍港があり、山裾にある北條家からその軍港がよく見渡せる。


北條家では周作の両親と同居することになる。義母は足が悪く、周作は海軍勤めをしている(事務方?)。


周作には嫁に行った姉がいる。なんでも、かつてはモガ(モダンガール)だったらしい。それでいて現在は職業婦人。そんな義姉が子供を連れて帰省してきた。


義姉は気が強く、思ったことはぽんぽんと言ってしまうタイプ。天然で抜けているすずさんの仕事っぷりにイライラとしている様子。そんなんだから、毎回釜で炊いたごはんを焦げ付かせてしまうんだよ、義姉さんは。


すずさんに放った渾身のイヤミや八つ当たりも、通じなかったけど(笑)
さすが、すずさん。天然クイーン。





戦争に関する情報が所々で差し挟まれているけれど、このときはまだ遠い。


配給制度が始まる。今はまだキリキリと切り詰めるほどではないものの、食べ物は大切にせねばならん。ということで、すずさんは、そこら辺の雑草(せり、なずなetc....)でも美味しく食べられるよう調理に工夫をこらす。


この時代、家事をするのも大変だ。炊飯器?掃除機?そんなものあるわけがない。だから、1日がかりでやらねばならんかった。女性が家に縛り付けられていた時代。


いやー、今の時代に生まれて良かったー。大して料理せずとも何とかなるもん。コンビニだってあるし。水だってわざわざ井戸まで汲みにいかずとも蛇口を捻ればすぐ出るし。





同級生で現在は海軍の水兵をしている水原が北條家を訪ねてくる。


水原のセリフがこの作品の根幹にあると感じた。


お前だけは変わらずに普通でいてほしい。


戦争という有事の状況下で、普通であり続けることの難しさよ。





昭和20年春頃から空襲の数が増してくるようになる。空襲は夜中が多く、人々は寝不足から疲弊していた。


爆撃機の爆音が本格的で心臓がびっくりしてしまう。それだけでも映画館で観る価値はある。きっとテレビで観ていたら、そこまで注目していなかっただろう。


散乱する焼夷弾の破片が威力があるすぎる。防空頭巾なんかで頭を守れる訳がないと思った。周作たち男の人が被っていたようなヘルメットが必要だな。


本作品を観て、戦時中における人々の日常とはこのようなものだったのかと理解できる。また、広島市よりも呉市の方が空襲が多かったというのにあれっ?と思った。でもそれは、後の大惨事への布石だったのだ。





戦時中と言えば、その悲惨さばかりがピックアップされがちだ。戦後70年も経てば、直接的に先の戦争のことを知っている人もほとんどいなくなる。そうなると、戦争を描いた作品は紋切り型のようになってくる。


戦争の悲惨さを周知させることによって、今後戦争をしない・させないことを狙っているのかもしれないが。


しかし、本作品はちょっと違う。そこばかりに注目してはいない。戦争前だろうが、戦争中だろうが、戦争後だろうが、大差はない。悲しむことは多少あるだろうが、いつまでも悲嘆にくれている訳ではない。なぜなら、人の生活はこれからも続くからだ。1日1日を紡いでいく。それが生きることなのだ。


悲しいねぇ、苦しいねぇと戦争を直接的に知らない我々世代が哀れみの目だけで、その当時を生きた人々を見るのは傲慢ではなかろうか。


これは何も戦争に限ったことではない。現代においても、被災者や障害者等とそうでない者との間に大きな隔たりがある。被災者や障害者等を可哀想な存在として置くことで、そうでない者に優越感なり、その他の感情なりを呼び起こそうとしている。これは感動ポルノとして昨今問題になっている。


戦争経験者、被災者、障害者等にも日々を生きる中で喜びや楽しみがある。人は悲しみばかりを抱えて生きられるものではないのだから。





すずさんの大切なものが戦時中において失ってしまったけれど、意外にもいつまでもクヨクヨとはしていなかった。


rigretにとっても大切なものはすずさんと同じだ。同様のことが身に降りかかってしまった場合、きっと絶望するだろう。そうなったら、とっとと自殺するわ。ばいちゃ。





義姉は、みんなの言いなりに北條家に嫁いで来たからつまらない人生だったろうとすずさんのことをそう評価した。確かに、これまでの人生を自分で選び取ってきた義姉にとってみればそう目に映るのかもしれない。


でも、すずさんのような、言ってみれば主体性がなく周りに流されやすいタイプは、そうは思ってはいないのだから別にいいんじゃなかろうか。現状に満足しているのならば。


こうしてみると、すずさんと義姉は性格も違えば、正反対な生き方をしてきたのだな。





エンディング曲が流れ出した途端、席を立つ人多数。おいこら、見えないじゃないか。


それにバカだなぁ。物語はまだ続いてるんだよ。エンドロールと共に、すずさんたちのその後が描かれているというのに。


さらにさらに、エンディング曲が終わった後もまだ続きがあった。なぜ、ばあちゃん家に座敷わらしが住み着いていたのか、その謎が解明される場面の数々が描かれていたというのに。もったいない(もう何回も観ていて知ってるという人は別にいいけど)。





本作品は、巷で流行りのクラウドファンディングによって制作された。作品の質の高さが評価されて、今もなおクラウドファンディングに資金が集まってきているそうな。もう作品は完成してるから、それは次回作に回せということかな?


この監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』をニコ生で観た。戦後10年ぐらい経った田舎を舞台にしている。


原作者が全然違うので、登場人物が共通して出てくるということは一切ない。だが、監督が同じなので世界観的には似通ったところがある。


ニコ生のコメント
「なんで松竹は『この世界の片隅に』に出資しなかったんだ」


『マイマイ新子~』では、配給が松竹だったのだ。
出資をしてくれなかったから、クラウドファンディングという形を取ったのか?でも、出資してきたら、あーだこーだと口出しされるかもだしな。結果として上質の作品が出来上がったのだから良かったのかも。




コトリンゴの歌声が、オープニングから劇中、エンディングまで優しく包んでくれる。




(2017年3月21日追記)
ローソンプリントに『この世界の片隅に』が登場!


L判:200円
2L判:300円


映画ポスター2種類から劇中の一場面を切り取ったものまで展開。お気に入りの場面があれば、プリントしてみよう。

 

 

 

 

(2017年6月16日追記)

公式HPを見たら、トップに「すずさんのありがとう」動画が挙がっていた。

 

2017年9月17日に円盤が発売決定!

特装版の特典には100Pにも渡る特製ブックレットが付属。他にも監督や出演者などのオーディオコメンタリーやメイキング映像などもつくよ。

通常版にもオーディオコメンタリーなどがつくよ。

 

これでいつでもすずさんに会えるよ。やったね!

 

 

 

 

(2017年11月6日追記)

グッドスマイルカンパニーより本作の主人公・すずさんがねんどろいど化!!。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ

体長約10cmのちっちゃかわいいデフォルメフィギュアになったよ。

 

二つ目の顔「ありゃあ顔」が非常にすずさんらしい。

みんな買ってね(°∀°)b(ステマ)