$縮まらない『何か』を僕らは知っている
雑司ヶ谷R.I.P./樋口毅宏 【新潮社】 (2011)

2011/02/25発売


救いが欲しいなら、俺が神になってやる。
でも、その前に地獄を見ておこう。教祖崩御と襲名、血の抗争――『ゴッドファーザーPartII』を超える大傑作の降臨。


一代で巨大教団を築いた雑司ヶ谷の妖怪が死んだ。新教祖就任に向けた儀式と抗争の進む「現在」と初代教祖の戦前戦中戦後の受難の「過去」が交錯する。

『さらば雑司ヶ谷』『民宿雪国』著者の最新最高傑作。


新潮社:書評/樋口毅宏『雑司ヶ谷R.I.P.』
あの大河内太郎がまたまた雑司ヶ谷に帰ってきた!
 ――というわけで、『日本のセックス』『民宿雪国』が話題を集める樋口毅宏の最新長編は、一昨年センセーションを巻き起こしたデビュー作『さらば雑司ヶ谷』の続編。いきなり厚さが倍になってますが、スケールアップしたのは物理的なサイズだけじゃない。雑司ヶ谷ローカルの暗黒小説(+笑い)だった前作に対し、今回は過去百年がまるごとテーマになり、日本の歴史(と雑司ヶ谷の現在)が大胆不敵に書き換えられる。「よくもまあぬけぬけと……」というのは、樋口作品すべてに共通する感慨ですが、本書ではそれがマックスに到達する。ここまでやりたい放題やっておいて、なおかつ娯楽小説としてきっちり(!?)着地させるとは……。これはもう、一種の天才と呼ぶべきかもしれない。
 さて、設定をざっとおさらいしておくと、主人公の“俺”は、東京都豊島区雑司ヶ谷(池袋と目白台の間に位置するレトロな町)で生まれ育った大河内太郎。この町に本拠を置く宗教団体、泰幸会の教祖・大河内泰の孫にあたる。中国から五年ぶりに里帰りした太郎が、祖母に命じられた任務を遂行しつつ、幼なじみを殺した宿敵と対決する――というのが前作のあらまし。馳星周が『不夜城』で新宿・歌舞伎町を異界に変貌させたように、ここでは舞台の雑司ヶ谷が魅惑的な異空間として描かれる。マンガ的に誇張された極端なキャラクター、半端ない暴力描写、破壊的なギャグ、脱線に次ぐ脱線、そして、著者が愛する作家と作品(巻末に明示)への臆面もないオマージュ/引用/パスティーシュの嵐……。
 作風は本書でも変わらない。小説の冒頭は、またしても太郎の帰還。二〇一一年四月一日、“雑司ヶ谷の妖怪”こと大河内泰が百二歳で死去。中国で暴れ放題に暴れていた太郎は、“教祖死す”の報を受け、ひさしぶりに日本の土を踏む。
“安らかに眠れ”(Rest In Peace)の題名通り、泰の葬儀が話の出発点だが、そこは樋口毅宏、小説の中身は休息とも平和とも無縁。「あんたの魂は俺が引き継いだ」とコッポラに献辞を捧げたうえで、名作『ゴッドファーザーPARTII』を下敷きに、現在(跡目を継いだ男の苦闘)と過去(若き初代ドンがのしあがっていく物語)を交互に物語ってゆく。
 驚くべきは、本書で初めて明かされる泰幸会の全貌と大河内泰の波瀾の生涯。信者の実数は、現在およそ百万人。当然、日本の近現代史にもさまざまな影響を与えている。なにしろ、《フォーカス》の創刊も、カルピスウォーターの発売も、すべて泰のご託宣によるものらしいのである。東京都知事からAKB48まで、実在の人物(らしき人々)も新旧とりまぜ多数登場。桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』とか阿部和重『ピストルズ』とか、現代史と奇想をミックスさせた小説はたくさんあるが、ここまで好き勝手した小説も珍しい。
 それと並行して語られる現在パートがまたとんでもない。前作で絶賛されたタランティーノばりの無駄話もさらにスケールアップ。「人類史上最高の音楽家は誰か」という議論から、登場人物が滔々と小沢健二論をぶつ前作の一節は各所で引用されたが(わたしも引用しました)、本書ではなんと、同じ人物が小沢健二をテーマに講演会を開いてしまう。おまけに「人類史上最強の男は誰か」という頭の悪い議論から長い格闘技オタク談議に突入。一回ウケたネタは、さらに磨きをかけ、分量を増やしてくり返すという見上げた芸人根性である。
 しかも、今回はそれだけでは終わらず、雑司ヶ谷を舞台に天下一武道会(のようなもの)まで開催してしまうのだからすさまじい。その中心をなす「石田吉蔵最強伝説」のとんでもなさは明らかに小説としてのバランスを壊しているが、まさにその壊れっぷりを原動力にして、話はどんどんありえない方向に突進していく。どう見てもやりすぎだが、やりすぎを突き抜けた先に感動がある。
コッポラも草葉の陰でションベンを洩らしているだろう。 (評論家/おおもり・のぞみ)


樋口毅宏 (takehirohiguchi) on Twitter