$縮まらない『何か』を僕らは知っている-ひきがたり・ものがたりvol.1 蜂雀
ひきがたり・ものがたり vol.1 蜂雀/七尾旅人 (2003)

ヘッドフォン線路沿い花吹雪

1. 線路沿い花吹雪
2. 月の輪
3. ぎやまん
4. 冷えた高み
5. まほろば
6. おやすみタイニーズ
7. 七日間


 常に絶え間ない進化を果たしてきた個性的なサウンドのみならず、欧米の文学作品やポップ・ミュージックからの引用を現代日本の感覚にアップデートした、独自の言語感覚と卓越したソングライティング・センス。一度聴けば、決して忘れることのない特徴的な声とヴォーカリゼーション――日本から登場したすべての90年代アーティストの中でも、七尾旅人ほどの個性的な存在はいない。痛みや傷のすべてを内面化してしまったようなフラジャイルな詞の世界は、日本にも確実にグランジ世代が存在することを証明すると共に、現代日本に暮らすユースの多くが、熱烈に「うた」を必要としていることの証明でもあった。初期作品における、古代文化の象形文字のような激サイケデリックな手書き文字の歌詞カードが象徴するように、彼は言葉の隙間から零れ落ちていく感情の機微のすべてを表現しようとしてきた。それががゆえに生みだされた、クチャクチャと鳴る不思議な倍音が魅力的な独自の発声。そして、音響に対する感覚がどこまでも研ぎ澄まされた、「ダブ/ハウス以降」のサウンドは、彼が最初の「テクノ以降のシンガーソングライター」だという事実を証明している。シド・バレットやティラノリックなアシッド・フォークから、ダイナソーJR.やニルヴァーナを彷彿させるグランジ、初期マービン・ゲイを思わせる極上のソウル、ボサノバやフォーク、ジャズの感覚を取り込んだケルン系エレクトロニカ――それまでの実り多き、さまざまなサウンド・イノヴェーションを経て、ボサノバ界の巨人、ジョン・ジラベルトの傑作『三月の水』よろしく、最小限のサウンドをバックに、「うた」と「ものがたり」をじっくりと聴かせることに真っ向から取り組んだのが、本作『ひきがたり・ものがたり vol.1 蜂雀(ハミングバード)』だ。ここでの七尾旅人は、「ひきがたり」というスタイルを、いわゆるアコギ1本の弾き語りだけではなく、研ぎ澄まされたミニマムな音響空間としてとらえ直した、もっともモダンなフォーク/歌謡の形として提示している。全7曲55分24秒、どの曲も組曲形式になっていて、大半の曲が7分を越す大作だ。だが、難しく考える必要はない。出来れば、静かな夜に部屋でひとりきりで聴こう。それぞれの登場人物がありありと動きだし、君に悲しみと喜びの物語を語りかけてくれるはずだ。
(THE ESSENTIAL DISC GUIDE 2004 あなたのライフを変えるかもしれない300枚のレコード/田中宗一郎)





 壮絶かつヘヴィ・ウェイトだった圧倒的な2ndアルバム『ヘヴンリィ・パンク:アダージョ』からわずか一年余り。こうして早々と3rdアルバムがリリースされることを、まずは喜びたい。前作発表後はライヴ出演やコラボレーションが続くなど、かつての隠遁者めいたイメージも薄れてきたが、そうした変化を自然に反映したようにこの新作は、かつてないほど明快で風通しがよい作品が揃えられている。収録曲こそ全7曲ながら、最短で5分半、その他は7分~9分の尺長ナンバーで、トータルでは55分にも及ぶ。とはいえ、卓越したストーリーテリング能力によって、どの曲も冗長さを微塵も感じさせない。プロダクションは実にシンプル。クレジット未着のため正確には不明だが、M3の曲自体のコード進行とぶつかるようにリニアに流れる三味線や、息の合った対話を披露するM5の山崎ゆかり(空気公団)ら少数のゲスト意外は『ひきがたり・ものがたり vol.1』と冠されたサブ・タイトル通り、大半が本人の手による演奏による、ノンビートでジャズ&ボサ色の強いアコースティック主体のサウンドは、広々とした空間を演出する。益々エキセントリシティを薄めた優しくしなやかな歌声と、客観性と普遍性を強めた歌詞とが相俟って、混迷と恐怖に怯える世界へ向けて奏でられた現代の聖歌といった印象を受ける。 (snoozer#037/斉藤耕治)