$縮まらない『何か』を僕らは知っている-ヘヴンリィ・パンク:アダージョ
ヘヴンリィ・パンク:アダージョ/七尾旅人 (2002)

ヘッドフォン天使が降りたつまえに

天使が降り立ったら なにかすぐにすぐに合図するね
夜は深いけど僕たちの遊びは続く 不思議なくらい
 涙がこぼれ落ちて、声がつまってしまったら
  簡単で強力な願いごと すればいいんだよ

天使が降り立つまえに
 僕の声を溶かしてゆく そして
  あの子笑ったりしないのさ 宝物さ
   あのCDかけよう。

天使が降り立ったら。
 あの歌を聴いてからいつも思う。
 会えない人達は、恥じればいいだけさ。
   少し思った。

わからない。(ごめんね。)
誰もそがいされちゃいけない。
あきずに指きり。何度も何度も何度も。

天使が降り立つまえに
ほんの少し不安げなあの子を
僕が守れたらいいけれど 気づけないのさ
 こわくはないよ。
(bet)ベットしよう。
賭けみたく僕はつみあげてこう。
天使に届くまで
(あの子 吐息を花にして まき散らした。)
  わぁ。わぁ。わぁ。(驚きに満ちたちいさな悲鳴)
     わぁ。わぁ。わぁ。(驚きに満ちたちいさな悲鳴)

天使が降りてくる。歌と同じに。
天使が降りてくる。
顔見あわせて僕たちはすぐかけだしてしまう。


 $縮まらない『何か』を僕らは知っている

 2枚組全35曲、計2時間33分。その圧倒的なヴォリューム&濃厚さ故、余りに孤高な印象は拭えない。だが、エレクトロニカ、様々なブラジル音楽、ジャズ等を消化した豊潤なサウンドと繊細で小さき声は、柔らかな膜の様に僕らを優しく包み込んでくれる。この残酷なほど正気で巨大な才能による音楽は、単なるエキセントリシティの発露や、童話などではない。どこまでも個人的でありながら、これほどまでに普遍に接近し得た作品は、ポップ・ミュージック史上でも数え上げるほどだ。 (snoozer#035 斉藤耕治)