$縮まらない『何か』を僕らは知っている-ヘヴンリィ・パンク:アダージョ
ヘヴンリィ・パンク:アダージョ/七尾旅人 (2002)

ヘッドフォン耳うちせずにいられないことが

ねえ。君を驚かすのが好き。大好き。
曲芸師にもなる。鳥にも。
なんでもなれるんだ。なんでも。
ねえ。その顔。変てこな声と、まゆ毛。
なにもかもは、わかんないよ。
ただ、ただ時間が止まった。
    止まった。

ドミノの様。不思議なことばかり。
人生はドミノ。
耳打ちせずに、いられないことが。
すばやく顔を、近づけてゆくよ。
「天使はどんな? 天使はどんなふう?」
(たぶんそれはね、ちいさなちいさな聖なるひびき)
何ものかの声:『カーティ ハーディ カーティ ハーディ』

窓のスキマから裏の公園が見える。
人が大勢いる。パトカーもいる。
なんか、大事件みたいだ。
なんか、大事件みたいだ。
前の週の君をもうあんまりおぼえてない。
だいぶ変わったよね僕ら。
だいぶ変わった。変わった。
    変わった。変わった。
君らしき誰かの声:「歩きましょ。ふりかえれば地獄。歩きましょう。」
耳打ちせずに、いられないことが。
すばやく顔を、近づけてゆくよ。
 (驚きに満ちた泣きそうな世界、ここは。
    おれ見つけたら すぐにこの子に教えてあげる。)



$縮まらない『何か』を僕らは知っている-七尾旅人


 とりたてて信仰を持たぬ僕らは精神の貧困に対して拠るところを持たず、全ての知識と手段と想像力を使って、この世から飛び立とうとする。そして、このダブル・アルバムに広がるのは、童話のような世界だ。ここには僕がここ数年、あえて遠のけてきた、武装解除のフィーリングがあった。誰よりもまず「キッズ」に向けられた、「鮮やかなファンタジー」としてのポップ・ミュージック。
 七尾旅人のことを、「テクノ世代のシンガーソングライター」と一息で言い切ることは可能だ。エイフェックス・ツインがかつて「ラップトップによって、音楽はフォーク・ミュージック化している」と喜んでいたけれど、旅人はその表現に、世界中でもっとも適した存在の一人である。久方ぶりの2ndで彼は、何人かのミュージシャンの力を借りながら、彼が本当に描きたい世界、子供達にその中でいつまでも踊っていてほしいスペース――真っ白な、ドリーミィな、ありとあらゆることがおこりうる世界を、限られた時間の中に創出しようとする。
 ただ、僕は今、こんな風な大袈裟な言葉でこの作品を飾り立てたくない気持ちになっている。大好きだ。とか、本当に驚いた。とか、そんなシンプルな言葉がいい。ある日、この作品の数曲でドラムを叩いた兄貴と、すごくリラックスした状態で聴いてみたら、このアルバムは、くるり『THE WORLD IS MINE』の変奏のように、あるいはCHARAの『Strange Fruits』の02年ヴァージョンのようにも聴こえた。全35曲のヴォリュームは、ゆっくりと楽しむのにもってこいだ。驚異的な多様さを見せる楽曲アレンジも、一枚目のM14で聴ける荒々しいくらいな歌声も、著しく飛躍したミュージシャンシップが、彼の表現を力強くしてる。国府達矢が深い深いサイケデリック・リヴァーブ・ギターを弾いた大曲“耳打ちせずにいられないことが”で、七尾旅人は歌う――「人生はドミノ」。力がどこか、外からやってくる。「物語」がやってくる。夢の語り部の音楽。だから「千夜一夜物語」シェラザードに毎夜耳を傾ける王様のようにして、一人になって、このCDをスタートさせてほしい。まるで隣に七尾旅人が現れて歌い始めるような、どっきりとする出だしから、2時間半の間、あなたは見覚えのない夢を、忘れかけていた夢を、何度も見るのだろう。 (䑓 次郎)