本誌をして「20世紀最後の天才」と呼ばしめたかつての少年が、1stアルバムから数えて2年8ヶ月随分と長く思われた不在の時を経て、ここに帰還する。彼が携えてきた2ndアルバム『ヘヴンリィ・パンク:アダージョ』は、果たして2時間33分にも及ぶヴォリュームに、本物の才能と驚きを散りばめた超大作である。沈黙の時の間に経験されたハード・タイムスと、そこからの出発を誓う、この壮絶な二幕を、君はどう聴くだろうか?
いまだ、きちんと対象化出来ていないから、詳しくは書けないけども、どうにも1枚目のディスクは聴くのがつらくて、結局、2枚目のディスクばかり繰り返し聴いている。室内楽的エレクトロニカ、ボサ・ノヴァやサンバといったブラジル音楽的な意匠を強めたナンバーが大半を占めている2枚目のディスクは、どの曲も、とても心地よい、快楽的な音に仕上がっているせいか、本当に何度も聴いてしまう。全曲、名曲と呼んでも差し支えないだろう。そして、この、ディスク2における基本的な感情モードは、自らの想いが、身近な大切な人達さえ少しも届かないことによる、無力感と悲しさだ。「出来ることなら、この世界に暮らす、誰一人も悲しませたくない。誰もが幸せに笑っていないと、僕は嫌なんだ」――そんな想いこそ、七尾旅人が創作に向かうモチヴェーションに他ならないことを、本作は雄弁に物語っている。ギター1本の弾き語り“ヒタ・リーを聴きながら”は、後世まで語り継がれるだろう名曲。この曲だけでも、もう100回は聴いた。「驚いて/驚いて驚く顔が見たくて頑張るよ空回りしていく/僕はただ駄目にするだけ何一つうまくできなくてごめんね/いっぱい考えたんだけど」。もし僕がキリストの1億分の1ぐらいの力があれば――そんな想い。これはヒロイズムではない。ただ、誰かが驚く顔が見たい、誰かのクスクス笑いを見たい、それだけが願いの、とてもシンプルな少年の、とてもシンプルな本音だ。そして、「だって、こんな風にして互いに触れ合うことでしか、今もキミの胸の奥でニヤニヤ笑いを浮かべている、その、虚無とやらを葬り去る方法はないんだもん」――本作のメッセージがあるとしたら、それはおそらくそんな想いに違いない。だが、そんなメッセージが、誰にも届きはしないだろうという諦念と無力感の中、七尾旅人は、それでも誰の気分も損なわないようにと、どこまでも優しく、心地よいサウンドを鳴らしてみせた。僕は、かつて彼のことを「20世紀最後の天才」と呼んだ。この作品は、その想いをさらに強くさせる。ただ、「20世紀最後の天才」は、世界中のいろんな悲しみを受信して、それをすべて内面化してしまう高性能すぎるラジオでもあった。こんなにも悲しいレコードはない。俺だって、あの頃の、君が驚く顔が見たい。
(soozer#031 田中宗一郎)
ヘヴンリィ・パンク:アダージョ/七尾旅人 (2002)
DISC-1
01.息をのんで
02.エンゼルコール
03.耳うちせずにいられないことが
04.わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)
05.天国北上
06.ハーシーズ・ムーンシャイン
07.リトルエクスタシィ
08.泡と光
09.『横浜市立阿龍公園』
10.h.b
11.夜光る
12.ブルーハンティング
13.だんだん夢みたい
14.これは花びらかな、そうじゃないかも。
15.チーク
16.ブラインドタッチ
17.シュリンプ(ガリバー6)
DISC-2
01.最終電車で海へいこう
02.反吐、反吐、汽車
03.『潜水バースデイ』
04.ウィッグビーチ
05.頭上の水面 白 白 白
06.大きなベイベ
07.天使が降りたつまえに
08.ヒタ・リーを聴きながら
09.ラストシーン
10.昔の発明
11.赤い星(サーチンソール)
12.バンブーズ
13.NEON
14.グライドしてた
15.完璧な朝
16.真夜中2時→
17.ナイト・グロウイン
18.『生涯の秘密』
ジョアン・ジルベルトの『三月の水』や、カールトン&ザ・シューズの『This Heart Of Mine』のような、特別なレコードだけを置いてある棚があって、その枚数って案外増えないものだ。そのようなレコードを聴くと、本当に自分に必要なレコードというのは、一体何枚あるんだろう、ひょっとしたら10枚もないんじゃないか、と思う。『ヘヴンリィ・パンク:アダージョ』は、そのような残酷さを持ちえた音楽だと思う。人は生まれながらに平等ではないことを、聴く者は思い知る。その残酷さはしかし、そうしたギフトを与えられた作り手にとっても、残酷に働くのかもしれない。僕は知らないから想像の域を出ない話だけれど、でも、松本大洋がいつも、「才能」について描くのは、そういうことのような気がする。
巨大な才能を持った少年は、だから「地球に落ちてきた男」となるのだ。その彼が「何一つうまくできなくごめんね」と、とてもとても小さく地上的なことを歌おうとする本作は、そんな残酷さに引き裂かれているように聞こえたりもする。符牒と目配せに満ちた言葉は――そして“小さな”声と歌は――それが「一生の秘密」であることを示す。七尾旅人は、世界の裏切りを知ったのだ。月の裏側でだけ起こる、驚きに満ちたリズムとメロディのファンタジーが美しすぎて、どこまでが現実で、どこに境目があるのかわからないが、この物語は痛切だ。
プレス用の資料には、セリーヌ『ギニョルズバンド』の呪詛のように辛辣な序文が、エピグラフとして掲げられていた。興味がある人読んでみたらいいが、僕は代わりに、クロード・ランズマンの9時間30分に及ぶホロコースト・ドキュメンタリー、『ショア』の科白を引用しよう。ワルシャワ・ゲットー蜂起を生き延びた、一人の老ユダヤ人が言う――「俺の心臓を舐めると、お前はその毒で死ぬぞ」。人間のなす最大の闇に触れた人間は、被害者も加害者もなく、死んで灰になっても消えない毒に、身を冒されるのだ――そう彼は言った。
ぼくの体にももう毒がまわってしまった?世界に裏切られた彼は、それでもごめんねと言い、世界を愛したいと願う。悲しいほど正気のシド・バレット。残酷にも、神々しいまでの美しさ。キチガイのふりをして生きている全ての人は、これを聴いたらいい。 (加藤亮太)