縮まらない『何か』を僕らは知っている-downy



感情を込めない、フラットなものを作りたかったんです。聴き手が好きなときに聴いて、自分の勝手な思い入れを感じることが出来る音楽でありたいと思う


遠くに浮かび上がる蜃気楼のようなギターのフィードバック。永遠に止まることを知らない、淡々と響くリズム。

静かな「何もない日常」のサウンドトラック=『無題』を完成させた、2001年ブライテスト・ホープ登場



 ダウニーの1stアルバム『無題』が完成した、先月のクラブ・スヌーザーでひと足早く、その楽曲(そして映像)を目撃してくれた人もいるだろう。彼らのサウンドを聴いていると、私はいつも古い映写機から映し出される、モノクロームの映像を思い浮かべる。何が映っているわけでもない、日常の何気ない風景がカタカタと音を立てながら写しだされている光景が、つぶった目の中に浮かび上がってくる。聞き取られることを拒否するかのように呟かれる、ロビンのヴォーカル。重なり合うギターは、空中に投げ出されたまま消えていってしまう。刻まれるリズムは、真夜中の海に聞こえる波のように淡々としていて、耳の奥にはシンバルの震えだけが残る。そのどれもが、何か寂しいような、どこか胸がザワつくような不穏な空気を作りだす。悲しみが襲う直前のような、怒りが込み上げる予兆のような、ドキドキと心臓が脈打つ余波のような、とても不確かで、でも確かに覚えがある感覚をこのアルバムは喚起させる。それが、何故かとても心地いい。嵐の前の静けさ――そんな言葉を思い起こさせる夜には、ぴったりの作品だ。 (唐沢真佐子)




縮まらない『何か』を僕らは知っている-無題
無題/downy (2001)


1. 酩酊フリーク

2. 野ばなし

3. 昭和ジャズ

4. 左の種

5. 狂わない窓

6. アンテナ頭

7. 62回転

8. 麗日

9. 脱力紳士

10. 猿の手柄



 4月のクラスヌで、その泥酔気質をも暴露した1st。どのテイクも2本のギター主導で、展開はほぼミニマル。スネア・ロールをプレイの中心に置いたドラムが、妙におもしろい。サイケ指向なのに、フィードバック全開にならないところは、CICADAほどキすきず、ウォルラスほどサイケデリックでもメロディックでもない、ダウニーの本性を決定付けているのかも。じとっとした“脱力紳士”から突然、マイブラを見果てるかのように飛翔する最終曲“猿の手柄”への流れが白眉。モグワイ化し、音響方面へも行けるし、轟音に姿を消すのもありだろう。当分は映像担当セバスチャンとの連携を強める感じなのかな?まだ足場の固まり切らない、完熟前のダウニーを刻印した、みずみずしいデビュー・アルバムだ。 (䑓 次郎)