アメリカ、フロリダで帝王切開で出産してから3w3dで日本に帰国するまでをまとめ。

帰国に際し絶対に必要なもの、、、
旅券。
アメリカのでも日本のでもとにかく早くとれるものが必要でした。もしくは、日本領事館発行の渡航の為の帰国書。
アメリカのは、郵便局で頼むと約2週間。だが、子供の申請に、両親揃っていけない場合は、役所の、notary が必要。notaryは生年月日が必要で、生まれてからでないと作成できず、また、birth certificateも5日かかるので、通常の地元郵便局申請では間に合わない。
また、書類は、マイアミのパスポートエージェンシーも同様のルール。日本の役場のnotaryならok。役所で訳してもらえる。ただし、費用約15000円。時間的に最寄りのアトランタかマイアミのパスポートエージェンシーに行くしかない。

日本のは、5月末に近くで1日領事館があったが、まだ、生まれていなかったので、それは不可。謄本を手に入れて旅券申請か、または、渡航の為の帰国書のどちらかが必要。つまり、マイアミに結局行く必要がある。最悪間に合わなければ、帰国ルートにマイアミを入れて立ち寄る必要がある。

◆日本のパスポート
2018.5現在、フロリダ在住の場合は事前にアポイントの上、マイアミ領事館で、即時発行可能。
ただし、必須書類に、
☆birth  certificate
☆戸籍謄本
があります。
私の住むLeon countyは、入院中に登録したbirth certificateは出産から5日(土日含む)
で発行され、1枚12ドル。department of healthのオフィスで、5/30に10枚発行してもらいました。
また、戸籍謄本は、領事館に出生届を出すと登録に時間がかかり間に合わないので、birth certificateを日本にいた主人にfedexで即座に送り、主人が日本の本籍地の役所で提出しました。役所にもよりますが、本籍地以外は時間がかかります。今回は事前に役所に相談して、2日で出してもらうよう、お願いしました。
5/30にfedexで送り、6/2に到着。6/4に役所に出生届を出し、6/6に戸籍謄本を主人が受け取り、EMSで原本を私の手元に送りました。東京などfedexがあるなら、アメリカへはfedexがベストです。EMSはギャランティしないし、USPSは怠慢なドライバーが多いです。主人が同行できないので、主人の日本の免許証とパスポートコピーも同封してもらった。6/13受け取り、6/14にマイアミ領事館へ行き、14時着、申請書記入し、15時、受け取りました。写真は白いブランケットの上に寝かせて撮影しました。
渡航の為の帰国書は、謄本はいりませんが、結局領事館まで、本人(申請者)を連れて行かねばなりません。ですから、どうせマイアミまで行くなら、なんとか間に合わせたかった、というのが目的でした。


◆アメリカのパスポート
どのみちマイアミに行くなら、アメリカのもとってしまおう、または、最悪どちらかとれれば出入国はできる、ということで、パスポートエージェンシーのアポをとりました。

6/14の12時に予約しましたが、早く着いて、11時にはチェックインしました。そこから約2時間半、待ちました。本人も連れて、なのでキツイです。300人以上待っていました。
必要書類は、
☆birth certificate 原本、コピー 原本あとから返却されます
☆notary DS3053 両親が揃って申請できる場合は不要
☆DS11 SSNの記入が必要だけど、間に合わない場合は別途定型文のレターが必要
☆親のパスポートコピー、ドライバーズライセンスコピー
☆国際線航空機の予約証明
☆2inchesの背景白の写真 貼り付けない
☆175ドル カード支払い可
でした。
とりあえず、不備がなければ待てば番号を呼ばれ、受付され、当日13:30以降の受け取りが可能です。
ただ、私は受付が13:30だったので、子供が限界で、ホテルに宿泊し、翌日朝イチ8時に受け取りました。
ちなみに、パスポートエージェンシーは15時にドアクローズなので、当日受け取り希望で、一度外に出たら、15時まで戻って、今度は受け取れるまで待ちます。場合によっては17時、と言われました。


なお、日本領事館の方に生後1ヶ月以内で帰国するのは過去聞いたことがない、と言われました。マイアミ領事館は旅券は即日発行ですが、他州はそうでないところが多いです。

なんとかマイアミで、両方のパスポートを受け取れました。一安心です。

5/26
深夜も数時間おきにナースが来て、痛みレベルを確認され、ペインキラーを処方される。とりあえず足の、ムクミが悪化し、お腹の傷の痛みよりも、そっちがしんどい。
朝8時、IV、麻酔、epidural、終了。左手のルートだけ残して、あとは全部外された。シャワー入って良いと言われる。2日ぶり、、、
光代さんが来てくれてる間にシャワー。
ドクターはtake a restというが、そんな暇はない。笑

あっという間に夕方になり、順子さんが手作り唐揚げ弁当とお茶を差し入れてくれた。😢
美味しく夕食にいただきました。

ソーシャルセキュリティーとバースサーティフィケートの担当者が来て、名前等登録する。

夜、レターボードで、レイの写真を撮る。

ムクミが酷くて、ふとももまでのソックスをはかしてもらう。30分くらいかかった。
お腹がいたいので、サポートバンドももらえた。

5/27
朝はパンケーキをオーダー。
朝9時、レイの聴力検査。異常なし。
おっぱいを噛まれて痛い。

頭の形が変で、帽子がすぐ脱げる。笑

オケでお風呂に入れたらギャン泣き。水が怖いみたい。

サンジュが夕方来てくれて、にくじゃが、わかめスープ、ご飯を差し入れてくれた。美味しかった。

痛みは少し落ち着いたが、ムクミが悪化。寝返りもうてない。

5/28
退院日。朝5時にそれぞれドクター、ナースが来て、退院🆗と言われる。

朝食食べてたら光代さんが来てくれて、片付け。私はシャワー浴びれる。

相変わらずムクミは良くならない。象を超えた足、、、

11時半くらいにベルギー人とホンジュラス人の友人が来てくれる。

13時過ぎ、退院。産婦は運転NG、ナースが車までベビーを送りに来て、ベビーシート確認。最後に臍の緒のセキュリティチップスを外す。

ルーシーさん宅に寄り、明美さんちへ。

光代さんにベビーバスの空気を入れてもらう。

ベッドが高くて、ステップがないと上がれないくらいムクミがひどい。


入院レポは終了。

帰国までのペーパーワークは次のページで。
アメリカ、フロリダで出産し、1ヶ月以内に日本に帰国するにあたり、時系列を含めて記録したいと思います。

長くなったのでいくつかに分けます。



2018
5/23 昼 40w3d OBGYN 1week check up
 over dueでultra sound、問題なしのためinductionのokをもらうが、今日は病院がいっぱいでベッドが空いてないから電話すると言われる
夜、電話があり、inductionのリスト5番目だから、明後日かもと言われる

5/24 明後日 ソーシャルセキュリティーオフィスに確認しに行く
家に帰って、朝11時前、ベッドが空いたと電話が来て、すぐ来れるか、と言われ、1時間以内に行きますと答える
昼12時、チェックイン、入院手続き
13時、LDRに案内される
14時、NST、3時間始まる 初めてNSTした
17時、NST終了 induction開始 (IVじゃなくて、直接子宮口に入れるやつだった)この時点では、私はinductionと分かってなかった💦
光代さんがジュースとお菓子を差し入れ
19時、なおみさんがジュースとフルーツを差し入れ
なんだか、痛いが、これが陣痛?とナースに聞いたらそうだと言われる
5時の薬を理解していなかったので、なぜ入院して、すぐにcontractionが来たか不思議だと聞いたら、さっき薬入れたでしょ、といわれ、マジ?いつ?ってなり、ここでさっきのは子宮口チェックではなかったことを知る。
ナース曰く、私の担当医は今日は忙しいから、多分明日来るだろうと言われる。
2段階目の段階のinduction開始。これは右手にルート取ってIVだった
7時すぎ、まだ我慢できる痛み。生理痛が少し強いくらい。
20時前 NSTでかなり強いcontractionがきて、だんだん痛くなってそろそろepidural したら、と言われる。
ベッドに横になった途端に強いcontractionがきて、IVに1時間に1本いれられるpain kilkerを入れてもらうが、効かない。
子宮口4.5cmで、epidural 開始。麻酔科医9時前くらいに来て、背中からルート。
麻酔科医待つ間、強いcontractionが来て、痛かったがうーとか言ってさすってもらう。
21時、epiduralしたら、眠れるくらい快適に。痛みもなく、眠れる。
2時間おきくらいに目が覚めるが、朝まで寝れた。
5/25 朝7時、ドクター来たが、担当医のパートナーとかいう初めて会う人だった。
ドクターが子宮口チェックしたが、contractionが収まり、5cmにしかなっていなくて、お産が進まないから、破水させた。また、私が楽な姿勢になると、胎児心拍が下がったため、直接胎児の頭に心拍計をつけた。その際、胎児の顔が背中側からお腹側にrotateした。私も15分ほど酸素マスクで乗り切る。
昨晩から、1リットルのIVをひたすら追加のため、ムクミ最高潮。結果的に5本やった。また、epidural中は食事はおろか、水もダメ。氷チップのみと言われ、お腹が限界💦
ずっと抗生物質や、溶連菌の薬も追加。
昼を過ぎ夜になっても、contractionつかず。
逆にepiduralは、重力により横になると、片側しか効かなくなるようで、横向きの場合、上に向いている半身に痛みが出てくる。30分に1回、寝返りしろと言われるが、足がむくんで、動かせない。
このときの寝返りがしんど過ぎた。お腹重いし足はむくんで動かせないレベル。最後にはepiduralが効かなくなって、ナースに効いてないと言ったら、タイレノール出すわ、と言われた。epidural効かないのに、
タイレノール、嘘でしょ、効くわけないじゃん、と思ったら、なんと、それが効いてびっくり。
19時、朝のドクターが来てinduction開始から24時間以上経つが、6.5-7cmしか子宮口が開いてないから、c-sectionにした方がいいと言われる。
今、手術中の人がいるから、そのあとに予約取れば夜9時くらいからできるから、と。
マジかよ〜だから、前もってナースにもドクターにも帰国まで時間ないから、手術避けたいって言ったじゃん!と悔しかったが、無事に出産を終えるにはno choiceなので、書類にサインする。
21時の手術までの約2時間、epiduralしたにもかかわらず痛みで悶える。タイレノールをくれたナース長らしき人は20時半前くらいに来たか、それより前のナースにはnothing to doと言われ、なんでーとイラつく。
24時間以上ベッドで、肩こりが悪化し、いつも痛みのでる右の肩甲骨が痛くて、明美さん、光代さんに押してもらう。
20:45、ベッドごと手術室移動。麻酔開始。シャーピーを感じるか、と足を何度かツンツンされたが、普通に痛くて、痛い、といった。5分くらいして感覚なくなる。
21:06、手術開始。電メスらしきもので、焼けこげる匂いを感じる。
21:17、レイ、生まれる。とりあげたドクターから始まり、レイを手渡されたナースなど、口々に、oh, big boyと言われたが、私がパッと見はシュッとしてた。毎日赤ちゃん取り上げてるアメリカ人にも重いと言われた。笑
泣き声は何故かpitchが悪かった。とりあえず、私はだんだん吐き気がしてきて、直前に飲んだほんとはダメなキウイジュースを出さないように必死に耐えた。バレたら怒られると必死に耐えたら涙が出た。
明美さんにレイのcord切ってもらう。
21:55、手術終了。術後、レイはHepBの予防接種と糖の検査で、足に何箇所も針を刺されて痛そうだった。私は肩の痛みがひどかったので、そこに効く麻酔してもらった。
22:30、skin to skinで、おっぱいやれとナースに言われる。訛りの強いナースで、ちょっと雑。TMHのナースたちは、総じてとても親切で良かったが、このナースと、もう一人かなり年の行った人は極めて乱雑だと感じた。
23時半ごろ、LDRから部屋移動。レイはシロップ?的なものを投与された模様。
私はお腹空きすぎてぐったり。眠い、ムクミで動けない。痛みは麻酔であんまりないが、アドレナリンなのか、疲れがどっと押し寄せる。
ナースが部屋を退出した瞬間に明美さんが持ってきてくれたおにぎりを食べる。24日、朝6時以来、24時間以上ぶりのご飯。
レイはクリブに入れられて、すぐに母子同室。病院のポリシーで、初日から退院までずっと一緒。
おっぱいあげようとしても、イヤイヤとなり、なかなか吸わない。数滴?でもいいから、と言われ、頑張る。
24時、ずっと付き添ってくれた、明美さん、光代さん帰宅。



久々のブログ更新です。約3年ぶりでしょうか。

 

色々ありました、この3年。

 

なぜ突然書く気になったかというと、先週、5/2の早朝に、20年来の友人が亡くなったからです。私にとっては、かけがえのない友人で、みんな、そうだと思いますが、彼女の代わりはいません。

 

高校3年間、同じクラスで、楽しいこともつらいこともいっぱい思い出があります。幸か不幸か、同じ大学に通うことになり、当時、地元に残ることで気が狂いそうだった私を、よさこいに誘ってくれた恩人でもあります。お互い結婚するまでは、一緒に旅行もたくさん行きました。

 

長くなります。

 

 

去年、ちょうどこの時期、私は2年ぶりに日本に帰国していました。(ひとつ前のビザ更新がギリギリ間に合い、アメリカに戻ってから)

もともと、インプラントの治療も予定していたため、日本滞在を9月ごろまでと決めていたので、その話を彼女にもしていました。4月末、日本に帰国し、すぐ東京で歯科に通い、GWに1泊2日で実家に帰省しました。その時、彼女から「どうしても会いたい、1時間でいいから時間作ってほしい」、とラインがありました。9月までいるし、今回は1泊しかしないから、6月とかじゃだめ?って聞いたら、「朝でも会いにいくからどうしても時間欲しい」と。うちも彼女の実家も農家なので、GWは家の手伝い等もあり、忙しいことは知っていたはずなのに、と若干思いつつ、正直、その時点で、これだけ彼女が強く言ってくるってことは、何かよくない報告なんじゃないだろうか、っていう不安が漠然とありました。

 

それで、ご主人も一緒に会って、彼女から聞いた話は、、、胃がんステージ4という告白でした。きっと、これを人に話すっていうことは、めっちゃ勇気が必要だったと思います。彼女が言うには、2016年9月に次女出産後、出血が止まらず変だなと思い、再度、病院へ行って検査したところ、出産が原因の出血ではなく、胃からの出血だったということ。その時点で、胃の全摘しか手術の方法がないと言われたこと。そして、その後、色々セカンドオピニオンなども行ったが、結局診断は同じだったということ。そして、既に2017年1月に胃の全摘他、周囲に浸潤していた部分の切除手術を行ったこと、を聞きました。既に抗がん剤治療や最先端治療(保険外)をいろいろやっている、と。

甲状腺の病気も多少あったので、そのせい?と聞いてみたけれど、それは関係ないとDrに言われたと言っていました。また、胃が変だなっていう自覚あったん?と聞いたら、それも、妊娠のせいだと思って、全然自覚なかった、と。もちろん、妊娠前の(2015年7月)の会社の健康診断には行っていた、と。(2016年7月は妊娠中で行っていない)

事実を聞いて、どうしようもなくなって、私は、一人で抱えきれないと思いました。彼女は告知を受けてから、時間が経っているからか、私からは落ち着いて見えたけど、「完全復活するから!」とラインでも言っていました。

 

私にできること、と言えば、できるだけ一緒にいて、話をすることぐらいしかありません。本当に無力、と思いました。何もできない、と。ただ、仕事をしていない分、自由な時間が人よりはあったので、実家にいる限り、彼女の体調、時間が許す限りは、会いに行くことができました。

 

昨年7月に同学年の小林麻央さんが亡くなったときは、本当につらかったと思います。連日の過熱報道で、1週間経ってもずっとその話題だったのは、さすがにみていられず、彼女に連絡も取れませんでした。胃がんと乳がんで多少病気は違いますが、そのころには、乳腺への転移、リンパの転移などがすでにあり、子供が2人いる点でも似ているところがあり、きっと自分と重ねているだろうな、と思っていたからです。もう報道止めてくれ、と思ってました。

 

どうしても一人でこの事実を抱えきれなかった私は、近い友人数人に彼女の許可なく話しました。いや、もし、話さなければ、知らずにこの友人たちも会えないんじゃないかって不安があったからだと思います。話すべきでないのでは?とも考えました。でも、私に話してくれたのは、きっと、私に会いたかったから、とうぬぼれかもしれませんが、思えたので、、、、。彼女には、「旦那(旦那も同級生)に話してもいい?」と確認して、その了承は得ました。「たばこ止めなって言っときなよー!がんはお金かかるよー!」ってそのアドバイスとともに。

 

そこで、もう1人、3年間同じクラスだった友人が夏休みに、実家に帰省した際に、連絡しました。これでも悩んで、言うべきか、言わざるべきか、、、、と2,3か月考えていました。彼女には、「私が病気のことを話したことは言わないでほしい、ということと、一緒に9月の連休に会いに行こう!ということ、おそらくそこで、本人が自分から言うだろうから、、、」と。絶句していました。そして、私がアメリカに帰ったあと、もちろん、家庭もあるのは十分理解しているけど、できるだけ、休みがあれば帰省して会ってあげて欲しい、と。話している友人が少ないから、きっと、話せる人が必要なはずだから、と。9月の連休に2人で本人の家にお邪魔して、本人が自分から、友人に話をしました。

 

本当のところはどう思っていたかわからないけど、9月末、最後に病院で会った時は、新しい抗がん剤治療を行うにあたり、サイドイフェクトが心配だから念のため1週間入院するよーという感じで。「私あんまり副作用ないみたいでよかったー」と、御飯にふりかけかけながら、話していました。雨の日でした。帰り際も、ハイタッチして、「じゃあ、また、来年帰るからね!」って。


その後、私はラインでしか彼女とコンタクトはしていなかったけど、年末年始の予定も誕生日のメールも検査数値があんまよくなかったよーとか連絡できていたので、来月、6月に帰国したときに、絶対会えると信じていました。なので、突然彼女のラインからご主人名で連絡が来て、飛び起きて泣きました。

 

 

どうして彼女が病気にならなければならなかったのか。原因は何か。彼女は、コーヒーもあまり好きではなく、もっぱら紅茶派でした。また、たばこも吸いませんし、お酒もそんなに飲む方ではありません。私の方がよっぽど胃に悪い生活をしていると思います。なので、彼女も「原因がわからないから、私、何に気をつけて生きていけばいいかわからない、それが一番イライラする」と言っていました。これは、まだQOLが確保されていたときの話なので、気力も体力もまだまだあったと思います。私は、「がんばれ」という言葉だけは使わないようにしていました。すでにめいっぱい頑張っているのを知ってたから。これ以上何やればいいの!と思ってたと思う。それでも、ご主人からは、さすがに最後の方は弱音を吐いていたと伺いました。

 

お通夜、葬儀に参列するために、帰国したいという気持ちがありましたが、現在臨月の私では、どうしても今飛行機に乗るリスクを負えないことと、引っ越しの手続き、準備もできていないので、無理と判断し、他の友人たちと旦那に任せることにしました。彼女もわかってくれるはず、と。最後にしたラインは、どうやったら早く生まれるか、という話題で、迷信や都市伝説をよく信じていた彼女らしく「ラズベリーリーフティーとオロナミンCに焼肉だよ」と言っていました。「この町にはオロナミンC売ってないし、焼き肉屋もないから、ラズベリーリーフティー買ってさっそくのむよ」と言ってたところでした。ねぇ、10日以上毎日飲んでるけど、まだ生まれないよ!やっぱ都市伝説じゃん!

 

なんだか、散歩したりふとぼーっとしたりすると、まだ近くにいるんじゃないか、って思います。現実のこととして、なかなか受け入れられないです。うちの実家のエリアでは、新聞に亡くなった方が毎日掲載されるのですが、旦那が送ってくれた新聞のお悔やみ欄を見て、彼女の周りが80-90代ばかりで、さらにやるせない思いでした。

 

当時の先生、友人に声を掛けたら、多くの参列があったそうです。

 

彼女の分まで、、、、などとおこがましいことは言えないけれど、一緒に過ごした時間、思い出はたくさんあります。20年前に出会ったときは、そもそもこんなにずっと仲良くできるなんて思ってもなかったし、こんなに早く別れが来るってことも思ってなかった。

健康でいることが当たり前じゃないっていうのは、本当にその通りだと。

 

どうしても、自分の中で整理しないと前に進めないような気がすること、アメリカでまったく彼女のことを知らない人に、細かく話せるわけもないので、思っていたことを書きました。彼女の分まで生きる、なんてことは言えないけど、健康でいることに感謝して、生きていかなればいけないなと。

 

もっともっと一緒にくらだない話したかったよ。

でも、私と友達になってくれてありがとう。いっつも笑ってた顔しか思い出せないよ。そっちでゆっくり休んでね。いつかまた、昔に戻ったみたいに話したいね。ありがとう。

 

どうも。久々です。

今回の帰国目的のひとつ、VISAの更新。

いやーまさかこんなことになるとは。

時系列を書きますとね、こんな感じです。
04/30 私日本帰国
05/03 旦那日本帰国
05/08 富山帰省
05/14 VISA更新代金ネット支払い、DS160送信
05/19 通常2日で送られるはずのレターパックが送られてこないのでメール
私が電話したら、なぜかカタコトの中国人(Mr.リー)が出て話が通じず
もう、私が電話したくなくなったので、旦那から電話かけてもらう。
(旦那の電話に出た人も、別の中国人やったみたいやけど、その人には、英語で話したのに、「僕英語わからないので日本語で」って言われたって。。。アメリカ大使館なのに、係員が英語できないって、なんでなん!?ちなみに、日本語もカタコト)
あんまりpushとかやらない旦那が、さすがに怒って、再三、電話して、やっとレターパックが来た。
05/28 レターパック到着(お金払ってすでに2週間。通常は3営業日。)
05/29 レターパックに書類、パスポート入れて返信。
06/01 大使館に書類到着確認。
06/02 大使館のstatusが「ready」に。
06/04 大使館のstatusが「administrative processing」に。
06/05 送られてこないので、旦那がまた電話。帰国日14日と伝える。
(本当は免許の更新したいからはよ欲しいのに、正直者の旦那は嘘がつけない。。。)
06/08 今日のstatusも変わらないので、私が電話。
これまた、中国人で、Ms.ヤナギという方に話をして、アメリカに帰国するために、富山から東京に行くから早めに欲しいって言ってんのにさ。
その方、富山を知らないようで、もう、イラっとしてしまった。。。。


←今ココ。
ま、明日もっかい電話するか。

日本の免許の更新行きたいんやけどなぁ。免許の更新にはパスポートいるんですよ。でも戻ってこないから行けないし。。。


VISA更新する方、日本は(東京は?なのか)使えませんよー。chatやメールはともかく、電話の問い合わせは、日本人でもアメリカ人でもない方が出て、余計イラっとします。
でも、東京でとった人は、更新も基本的に東京でせないかんので、仕方ないんやけど。。。



*****
昨日テレビで見た、superflyと渋谷すばるが歌ってた、「タマシイレボリューション」と「愛をからだに吹き込んで」が良かったなぁ。
声質とか声の出し方が似てるのかわからないけど、良かったなぁ。
vocalistの戦いみたいな。


*****
日本で買って帰るもの、ほぼほぼ全部買い終えました。結局、スーツケースと段ボール2個で帰る予定です。戻ってくるときの段ボール(160サイズ)は1個で、もうひとつは小さいんだけど。。。。
160サイズ2個持ってったら、LAX-PHXの帰りの旅行のとき、車に乗らないんじゃないか、って思って。